は、突然|竹法螺《たけほら》のような声を放って、誰にいうともなく、
「あーア、昨夜から、何か変ったことはなかったかア」
と、顔を正面に切っていった。そして手を延ばして大湯呑をつかむと、湯気のたつやつを唇へ持っていった。破《やぶ》れ障子《しょうじ》に強い風が当ったような音をたてて彼は極《ご》く熱《あ》つのげんのしょうこを啜《すす》った。近来|手強《てごわ》い事件がないせいか、どうも腸の工合がよろしくない。
ばたんと机に音がして黒表紙の帳簿《ちょうぼ》が課長の前に置かれた。「事件|引継簿《ひきつぎぼ》第七十六号」と題名がうってある。課長は大湯呑を左手に移し、右手の太い指を延ばして帳簿の天頂《てっぺん》から長くはみ出している仕切紙をたよりにして帳簿のまん中ほどをぽんと開いた。その頁には、昨日の日附と夕刻の数字とが欄外《らんがい》に書きこんであり、本欄の各項はそれぞれ小さい文字で埋《うま》っていた。
“――省線山手線内廻り線の池袋駅停り電車が、同駅ホーム停車中、四輌目客車内に、人事不省《じんじふせい》の青年(男)と、その所持品らしき鞄(スーツケースと呼ばれる種類のもの)の残留せるを発見し届
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