ってしまったんだそうです」
「どうしたのだろう」
「女の膝から博士の膝へ、或る麻薬《まやく》の注射が施《ほどこ》されたんでしょうね。博士は、そういえばちくりとしたようだといっています。――それから博士は、意識の朦朧《もうろう》たる裡《うち》にも、膝の間に挟《はさ》んでいた鞄が掏《す》りかえられるのに気がついたそうです。しかし声を出そうにも手をあげようにも、どうにもならなかったそうです。そしてそのうちに何もかも分らなくなった……」
「怪しい奴は、すると男と女と二人組なんだね」
「そうなんです。これが頗《すこぶ》る重大な事柄《ことがら》なんですが、田鍋さん、博士はその男女の顔をよく覚《おぼ》えているといって、人相を話してくれましたが、男も女もなかなか目鼻の整《ととの》った美しい人物だったといいますよ」
「えっ、何という。美男美女だって?」
「正に美男美女なんです。そしてそれがですよ、ほら博士邸が焼けた晩ね、あの晩に研究室にいて小山すみれを相手にしていた若い美貌の男――万沢とかいいましたね――あの男とそれから後にピストルを持って現われた美人がありましたね、あの女と、この両人《りょうにん》らしいのですよ」
「ふーん、そうか」
田鍋課長は、満面を朱盆《しゅぼん》のように赭《あか》くして、膝を叩いて呻《うな》った。
「ね、課長さん。さっきあなたから伺《うかが》った話から誘導《ゆうどう》すると、その美貌の男こそ、烏啼天駆《うていてんく》でなければならないと思うんですが、課長さんの意見は如何ですか」
帆村は、大胆なことをいった。
「そうかもしれない。いや、それに違いない。あれが烏啼なら、あのとき逃がすんじゃなかった。で、女は何者か」
「それが分らないのです。しかしですよ、この事件の主軸《しゅじく》には、二つの者が功を争っていることは、僕も察していました。例えばあの紛失鞄の新聞広告のことですね。
あの広告主の一人は烏啼天駆であり、もう一人はやっぱりあの女だったんですよ」
「ふうん、なるほど、そういえばそうかもしれない」
「あの二人は、時に一緒になって働きました。その例は、博士から鞄を奪《うば》ったときなんかがそれです。それでいて、二人は大いに睨《にら》み合《あ》っていたんですね。だから博士邸のピストルさわぎも起った。あれはお化け鞄が紛失したのに困った烏啼が、小山すみれを唆《そそ》
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