るいトランクだろう。豚《ぶた》のように跳ねあがり、通りすがりのトラックへとびこんで逃げてしまいやがった。これで、今朝、顔色のわるいカーキ服の男から三百円で買い取った品物をなくして、三百円丸損となってしまったぞと、大いに恨《うら》めしく思った。
この話が、誰から誰へとなく拡がって行ったのである。
怪異《かいい》は続く
東京朝夕新報の朝刊八頁の広告欄に、気のついた人ならば気になったであろうところの三行広告が二つ並んで出ていた。
[#ここから改行天付き、折り返して1字下げ]
○紛失《ふんしつ》、赤革トランク、特別美|且《かつ》大なる把柄《はへい》あり、拾得届出者に相当謝礼、姓名在社三二五番
[#ここで字下げ終わり]
もう一つは、次のとおりであった。
[#ここから改行天付き、折り返して1字下げ]
○紛失、赤革トランク、特別美且大なる把柄あり、拾得届出者に莫大《ばくだい》謝礼、姓名在社三二六番
[#ここで字下げ終わり]
つまり両方とも赤革トランクを返してくれと訴えているものだった。
前日トラックの運転手は、空トラックを店のガレージの前に停め、車体の点検を行ったとき、ふしぎなことに、後の荷置き場の隅《すみ》に赤革トランクが逆《さか》さになって置かれてあるのを発見した。彼はそれを下へ下ろし、開いても見たが全然|見覚《みおぼ》えのないものだった。
そのうちに朋輩《ほうばい》の誰彼がそのまわりに集って来た。そしてこのようなすてきな鞄を何処で手に入れたのかと知りたがった。
かの運転手は早速返事をして途中まで喋《しゃべ》ったが、そこであとの言葉を嚥《の》みこんだ。そして俄《にわか》に彼は一つの創作をひねりだしてそれを以て返事に継《つ》ぎ足《た》そうとしたとき、支配人の酒田が割込んで来て、その鞄を欲しがった。結局、運転手はその鞄を百円札五枚で支配人に譲り渡した。売った方も買った方もにこにこしていた。
酒田はその鞄を手にぶら下げて、そこから程遠からぬところにある彼の邸へ歩いて帰った。彼は目下やもめ暮しであった。家族たちはまだ疎開《そかい》先に釘《くぎ》づけのままだった。東京のこの家には、家政婦の老婆が一人仕えているだけだった。
酒田はその鞄を持って帰ると、押入を開いて、下の段の奥へ押込んだ。そしてすぐ襖《ふすま》を閉めた。どういうわけでそうしたのか明瞭《めいり
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