ても、子供の玩具《おもちゃ》のことだからいいことになっているのだが、柿色という色は囚人の制服と同じ色であるところから、われわれ囚人の方で厭がってハネることにしているのであった、それは看守も大目に見ていたのだった。
「なアに、一枚だけだ。これでいいよ。あとは捨てろ。この屑山《くずやま》を直ぐ捨てて来い」
そういうなり私は、柿色の花びらを一枚束の中に加えた。一枚ぐらい余分に加わっても別に作業に不都合はなかった。
それが済むと、私は自分の作業台のところへ帰って来た。そこには五十嵐が何喰わぬ顔で待っていた。
作業は始まった。
私は柿色の花びらのついた紙風船が、もう来るか来るかと、首を長くして待った。
(あ、来たぞ)柿色の紙風船は、遂に私たちの方に廻って来た。五十嵐は無造作に二つに折って、バサリと球《たま》の上に被せた。
「やあ」ポーン。
と私は丸い風船の尻あてを貼りつけた。だがそこに千番に一番のかねあい……というほどでもないが、糊のついたところに例の裸のラジウムをくっつけるが早いか、その方を下にしてポーンと柿色の紙風船に貼りつけたのであった、つまり鉛筆の芯《しん》の折れほどのラジウムは、紙風船の花びらと尻あてとの紙の間に巧みに貼り込まれてしまったのだった。
「いやァ。――」ポン。
五十嵐は同じ調子で、そのラジウム入りの風船をひっくりかえした。私はチラリと彼の顔を見たが、彼は口をだらしなく開いて、眼は睡《ね》むそうに半開《はんかい》になっていた。彼は私の大それた計画に爪ほども気がついていないらしかった。私は大安心をして、ポーンと丸い色紙を貼りつけたのだった。五十嵐はその柿色の紙風船に見向きもせず、腕をサッと横に伸ばして今まで出来た紙風船の上に積みかさねた。そこへお誂《あつら》え向きに検査係が来て、その一と山の紙風船を向うへ持っていった。私はうまくいったと心中躍りあがらんばかりに喜び、ホッと溜息をもらした。
こうしてラジウムは、柿色の紙風船の中に入ったまま、私の手を離れていったのだった。
それから後の話は別にするほどのこともない。私は予定より二週間ばかり早く、刑務所を出された。出るときは、果《はた》してあの帆村とかいう探偵立合いの下に、肉ポケットの中を入念に調べられたが、それは彼等を失望させるに役立ったばかりだった。私が出所したあとで、私の囚人服や独房内が、大勢の看守の手で大騒ぎをして取調べられていることだろうと思って、噴《ふ》き出《だ》したくなった。
娑婆の風は実にいいものだった。ピューッと空《から》ッ風が吹いて来ると、オーヴァーの襟《えり》を深々《ふかぶか》と立てた。
「ああ、寒い」
風が寒いのを感じるなんて、何という幸福なことだろう。私は五年間に貰いためた労役《ろうえき》の賃金の入った状袋《じょうぶくろ》をしっかりと握りながら、物珍《ものめず》らしげに、四辺《あたり》を見廻したのだった。
そこへ一台の円タクが来た。呼びとめて、車を浅草へ走らせる。円タクに乗るのも、あれ以来だった。私は手を内懐《うちぶところ》へ入れて、状袋《じょうぶくろ》の中から五十銭玉を裸のまま取り出した。
「旦那、浅草はどこです」
「あ、浅草の、そうだ浅草橋の近所でいいよ」
「浅草橋ならすこし行き過ぎましたよ」
「いや、近くならばどこでもいい。降《おろ》して呉れ」
私は綺麗な鋪道《ほどう》の上に下りた。だが何となく刑務所の仕事場を思い出させるようなコンクリートの路面だった。私は厭《いや》な気がした。
そこで私は、トコトコ歩き出した。
訪ねる先は、七軒町《しちけんちょう》の玩具問屋《おもちゃどんや》、丸福商店《まるふくしょうてん》だった。あっちへ行ったり、こっちへ行ったり、相当まごついたが、やっと思う店を探しあてた。店頭には賑《にぎや》かに凧《たこ》や羽根《はね》がぶら下り、セルロイドのラッパだの、サーベルだの、紙で拵《こしら》えた鉄兜《てつかぶと》だの、それからそれへと、さまざまなものが所も狭く、天井から下っていた。――私は臆面《おくめん》もなく、店先へ腰を下した。
「いらっしゃいまし。何、あげます?」
と小僧さんが尋《たず》ねた。
「ああ、紙風船が欲しいのですがネ、すこし注文があるので、一ついろいろ見せて下さい」
「よろしゅうございます。――紙風船といいますと、こんなところで……」
と小僧さんは指さした。なんのことだ、私の坐った膝の前、あの懐しい紙風船が山と積まれているのだ。
(おお。――)
私の胸は早鐘のように鳴りだした。風船を両手でかき集め、しっかり圧《おさ》えたい衝動に駆られた。だが私も、刑務所生活をして、いやにキョトキョトして来たものである。
「そうですネ。――」
と私は無理に気を落ち着けて、風船の山を上から下へと調べていった。
(柿色の風船は?)
無い、無い。無いことはないのだが……。およそ私の居た刑務所の紙風船は、一つのこらずこの丸福商店に買われることになっているのだ。それは刑務所で入札《にゅうさつ》の結果、本年も紙風船は丸福に落ちていたのだった。だから柿色の紙風船は、この店にあるより外に、行く先がなかった。売れたのかしら?
「……もう風船はないのですか」
「唯今《ただいま》、これだけで……」
「そうですか。どこかにしまってあるんじゃないですか」
「いいえ」
小僧さんは悲しいことを云った。
私はガッカリして、立ち上る元気もなかった。そのとき奥から番頭らしいのが、声をかけた。
「吉松。さっき、あすこから来たのがあるじゃないか。あれを御覧に入れなさい」
「ああ、そうでしたネ。……少々お待ち下さい。今日入った分がございましたから」
「今日入ったのですか。ああ、そうですか」
私は悦《よろこ》びに飴《あめ》のように崩《くず》れてくる顔の形を、どうすることも出来なかった。小僧さんは、大きいハトロン紙《し》の包みをベリベリと剥《む》いた。
「これは如何《いかが》さまで……」
「ああ――。」
私は一と目で、柿色の紙風船が重《かさ》なっているところを見付けた。
「あ、こいつはお誂《あつら》え向《む》きだ。こいつを買いましょう。」
私は十円|紙幣《さつ》を抛《ほう》り出して、沢山の風船を買った。小僧さんが包んでくれる間も、誰かが邪魔《じゃま》にやって来ないかと、気が気じゃなかった。だがそれは杞憂《きゆう》にすぎなかった。
私は風船の入った包みをぶら下げて、店を出た。ところが店の前を五六間行くか行かないところで、私はギョッとした。私の顔見知りの男が、向うから歩いて来るのである。それは帆村という探偵に違いなかった。
(これは――)と咄嗟《とっさ》に私は決心を固めたが、幸いにも帆村探偵は、並び並んだ玩具問屋《おもちゃどんや》の看板にばかり気をとられて歩いているらしかった。私はスルリと電柱の蔭に隠れて、とうとうこの間抜け探偵をやりすごした。
私はすぐに円タクを雇うと、両国《りょうごく》へ走らせた。国技館前で降りて、横丁を入ってゆくと、幸楽館《こうらくかん》という円宿《えんしゅく》ホテルがあった。私はそこの扉《ドア》を押した。
三階へ上り、部屋からお手伝いさんを追い出すのももどかしかった。宿泊料とチップを受けとって、ふくら雀《すずめ》のようなお手伝いさんが出てゆくと、私は外套《がいとう》を脱ぎ、上衣《うわぎ》を脱いだ。そして持ってきた包みをベリベリと剥がした。ナイフなんか使う遑《いとま》がない。すべて爪の先で破った。
出て来た出て来た。
「柿色の紙風船だァ!」
外《ほか》の紙風船は、室内にカーニヴァルの花吹雪《はなふぶき》のように散った。
「これだ、これだッ」
とうとう探しあてた柿色の紙風船だった。私の眼は感きわまって、俄《にわ》かに曇った。その泪《なみだ》を襯衣《シャツ》の袖で横なぐりにこすりながら、私は紙風船の丸い尻あてのところを指先で探った。
「オヤ?」
どうしたのだろう。尻あて[#「あて」に傍点]のところに確かに手に触れなければならない硬いものが、どうしても触れないのだ。そこはスケートリンクのように平坦だった。
「そんな筈はない!」
怺《こら》えきれなくなった私は、尻あてに指先をかけると、ベリベリと引っぺがした。すっかり裏をかえして調べてみた。ところが、やっぱり何も見当らない。これは尻あてと、呼吸《いき》を吹きこむ口紙の方と間違ったかナと思って、今度はそっちの方をひき※[#「てへん+毟」、第4水準2−78−12]《むし》ってみた。が、やっぱり無い。そんな筈はない。そんな筈はない。が、どうしても見当らないのだった。
「ああーッ」
私の腰はヘナヘナと床の上に崩れてしまった。夢ならば醒《さ》めよと思った。神様、もう冗談はよしましょうと叫んだ。時間よ、紙風船を破く前に帰れよと喚《わめ》きたてた。だが、そんなことが何の役に立つというのだ。絶望、絶望、大絶望だった。数万の毛穴から、身体中のエネルギーが水蒸気のように放散《ほうさん》してしまった。私は脱ぎ捨てられた着物のようになって、いつまでも床の上に倒《たお》れていた。
それはどれほど後だったかしらぬ。私はようやく気がついて、床の上に起き直った。
考えてみると、随分馬鹿な話だった。あれほどうまく隠しおおせた三万五千円のラジウムが、とうとう行方不明になってしまったのだ。だが、あの日までは私の手のうちにあったラジウムである。現在も地球上の、どっかに存在している筈《はず》であった。
そう思うと又|口惜《くや》し泪《なみだ》がポロポロ流れ落ちて来るのだった。人生の名誉を賭けたあのラジウムを、そんなに簡単に失ってなるものかと歯ぎしり噛んだ。
「一体どこで失ったんだろう?」
私はあの日からのちのことをいろいろと思い綴《つづ》って見た。いろいろと考えられはしたが、結局しっかりしたことは判らない。しかし一旦|糊《のり》で紙の間に入れたラジウムが、こんな短期に脱け落ちるのはおかしい。といって風船が違ったわけでもない。この柿色の風船のように、半端な色花びらを接《つ》ぎ合《あ》わせたものは外《ほか》にない筈だ。
私は同じことを、いくたびも繰り返し繰り返し考え直した。考え直しているうちに、ふと気がついたことがあった!
「おお、あれかも知れない」
私はムクリと起き上った。
「いや、あれに違いないぞ。うん、そうだ」
私の全身には、俄《にわ》かに血潮の流れが早くなった。手足がビリビリと慄《ふる》えてきた。
「よォし、畜生……」
私は戸外《こがい》の暗闇に走り出《い》でた。
さてそれから後のことを、どう皆さんに伝えたらいいだろうか。私はすこし語りつかれたので、結末を簡単に述べようと思う。その結末というのは、恐らく、もう皆さんの目にハッキリと映っていることと思う。そういって判らなければ、もっと明瞭《めいりょう》に云おう。
皆さんは、二月二十日付の朝刊を見られたであろうと思う。その社会面の中で、なにが皆さんを最も駭《おどろ》かしたであろうか。
それは云うまでもあるまい。
「山麓《さんろく》の荒小屋《あれごや》に発見されたる怪屍体」という見出しで、「昨十九日午前八時、×大学生××は××山麓《さんろく》の荒れ小屋の中に於《おい》て休息せんとしたところ、図《はか》らずもその中に年齢四十二三歳と推定される男の素裸の怪屍体を発見した。警報をうけて警視庁の大江山《おおえやま》捜査課長以下は、鑑識《かんしき》課員を伴って現場《げんじょう》に急行した。現場には同人《どうにん》のものらしき和服と二重まわしが脱ぎ捨てられてあったが、その外に何のため使用したか長い麻縄《あさなわ》が遺棄《いき》されてあった。其の他に持ちものはない。屍体は即日解剖に附せられたが、この男の死因は主として飢餓《きが》によるものと判明した。尚《なお》屍体の特徴として、左|肋骨《ろっこつ》の下に、著《いちじる》しい潰瘍《かいよう》の存することを発見した。しかしその成因其他《せいいんそのた》については未詳《みしょ
前へ
次へ
全4ページ中3ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
海野 十三 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング