たのだった。その結果、患部《かんぶ》は悪化《あっか》した。いじりまわしたのが悪かったのか、それともラジウムを長い時間、患部に接して置いたのが悪かったのか。
そういえば、ハッキリ刑務所の人間となるときに、私は千番に一番のかね合《あ》いという冒険をしたのだった。あのとき、私のあらゆる持ちものは没収《ぼっしゅう》され、素《す》ッ裸《ぱだか》にして抛《ほう》り出されたのだ。それまではラジウムを、あっちのポケットからこっちのポケットへと、頻繁《ひんぱん》に出し入れしていた。同じところに永く入れて置くと、たとい洋服だの襯衣《シャツ》だのを透《とお》してでも、ラジウムの近くにある皮膚にラジウム灼《や》けを生《しょう》ずるからだ。ところが、この素ッ裸にされ、そしてやがて襟《えり》に番号の入った柿色《かきいろ》の制服を与えられる場合になっては、最早《もはや》ラジウムはそのままにして置けなかった。洋服の一部分に入れて置けばよいようなものであるが、五年も同じところに入れて置くと、洋服の生地がボロボロになり、その隙間《すきま》からラジウムは自然に下に転がり落ちるだろうと考えられたからだ。釦《ボタン》に穴を明けて置いて、その中にラジウムを嵌《は》めこむ方法も考えたが、ラジウムの偉力《いりょく》は、洋服の生地《きじ》も馬蹄《ばてい》で作った釦も、これをボロボロにすることは、まったく同じことだった。――結局、柿色の制服を着る際には、どうしてもラジウムを、あの肉ポケットに入れて、うまく独房《どくぼう》の中へ持ち込むより外に、いい手はなかった。
こんな風で、私の肉ポケットの疾患《しっかん》は、更に悪化したのだった。ラジウムも適当なる時間を限って患部に当てれば、吃驚《びっくり》するほど治癒《ちゆ》が早いが、度を過ごすと飛んだことになるのだった。
「おい一九九四号、出てこい」
「はア。――」
「医務室へ連れてゆくから出て来い」
「はア。――」
私はラジウムを、清掃用《せいそうよう》の箒《ほうき》のモジャモジャした中に隠してそれから看守に連れられて外に出た。
(おオ、おオ)
と向いの一二二二号が小窓から顔を出して、私にサインを送った。彼はこの刑務所へ入って出来た最初の友達であり先輩だった。本名《ほんみょう》は五十嵐庄吉《いがらししょうきち》といい、罪状《ざいじょう》は掏摸《すり》だとのことだった。
さて私は、その日から、痔《じ》の治療をうけることになった。何かにつけ、娑婆《しゃば》とは段違《だんちが》いに惨《みじ》めな所内《しょない》ではあるが、医務室だけは浮世並《うきよな》みだった。
「少し痛いが、辛抱《しんぼう》しろよ」
と医務長は云った。なるほど手術は痛くて、蚕豆《そらまめ》のような泪《なみだ》がポロポロと出た。
独房へ帰って来ても、痛くて起上れなかった。このままでは、腰が抜けてしまうのではないかと思った。私はそのとき、箒《ほうき》の中に隠してあるラジウムを思い出した。私は朝と夜との二回、ラジウムを取り出して患部にあてた。そして毎日それを繰返した。
「どうだ、吃驚《びっくり》するほど、早くよくなったじゃないか」
と医務長は得意の鼻をうごめかせて云った。
「へーい」
私は感謝をしてみせたが、肚《はら》の中ではフフンと笑った。医務長の腕がいいのではない。私のやっているラジウム療法がいいのだ。――こんなわけで、痔の方は間もなく癒《なお》ってしまった。
それからは、まことに単調な日が続いた。
初めのうちは、刑務所ほど平和な、そして気楽な棲家《すみか》はないと思って悦《よろこ》んでいた。しかし何から何まで単調な所内の生活に、遂《つい》に愛想《あいそう》をつかしてしまった。
尤《もっと》も、私達は手を束《つか》ねて遊んでいるわけではない。私達の一団は、紙風船《かみふうせん》を貼《は》っているのである。広い土間《どま》の上に、薄い板が張ってあって、その一隅《いちぐう》に、この風船作業が四組固まって毎日のように、風船を貼っているのだった。それは刑務所の中での一番|華《はなや》かな手仕事だった。赤と青と黄、それから紫に桃色に水色に緑というような強烈な色彩の蝋紙《ろうがみ》が、あたりに散ばっていた。何のことはない、陽春《ようしゅん》四月頃の花壇《かだん》の中に坐ったような光景だった。向うの隅で、麻《あさ》の糸つなぎをやっている囚人たちは、絶えず視線をチラリチラリと紙風船の作業場へ送って、快《こころよ》い昂奮《こうふん》を貪《むさぼ》るのであった。
風船をつくるには、色とりどりの蝋紙の全紙《ぜんし》を、まずそれぞれの大きさに随《したが》って、長い花びらのように切り、それを積み重ねておく。それから小さいオブラートのような円形《えんけい》を切り抜いて積み重ねる。これは風船の、呼吸《いき》を吹きこむところと、その反対のお尻のところとの両方に貼る尻あて紙[#「あて紙」に傍点]である。呼吸を吹きこむ方のには、小さい穴を明けて置く、これだけが風船の材料であるが、それを豊富にとりそろえて置く。
紙風船の作業は、一番初めに、あの花びらのような材料の組み合わせを作る。たとえば赤と黄との二色を、一つ置きに張った風船をつくるのであると、そのような二種の花びらを揃える。それから一枚一枚、すこしずつ外《はず》して並べ、ゴム糊《のり》を塗る。それが一役。
次へ廻ると、ゴム糊の乾《かわ》かぬほどの速度で、その花びらを一つ置きに張ってゆく。すると台のない提灯《ちょうちん》のようなものが出来る。これが一役で、四五人でやる。
今度はそれの乾いた分から取って、半分に折り、丁度《ちょうど》お椀《わん》のような形にする。これも一役。
次は私と五十嵐庄吉とのやっている作業であるが、二人の間に、張型《はりがた》のフットボールの球に足をつけたようなものが置いてある。まず五十嵐の方が、二つに折られて来た紙風船をとって、いきなりこのフットボールの上にパッと被せる。すると私は、オブラートに糊《のり》をつけたものを持っていて、その風船の肛門《こうもん》のようなところへ円い色紙をペタリと貼りつける。すると間髪《かんぱつ》を入れず、五十嵐の方が風船をフットボールから外《はず》すと、素早くお椀みたいなのを裏返しにして、もう一度フットボールの上に載せる、すると反対の側の風船の肛門が出てくるから、私は小さい穴のあいている方のオブラートをペタリと貼るのである。それで紙風船の作業は終った。
あとは五十嵐が、出来上った紙風船を、お椀《わん》を積むように、ドンドン積み重ねてゆく。すると、ときどき検査係が廻って来て、その風船の山を向うへ搬《はこ》んでいってしまう。
私と五十嵐とは、うまく呼吸《いき》を合《あ》わせて、
「はッ、――」ポン。
「いやア。――」ポン。
と、まるで鼓《つづみ》を打っているように、紙風船の肛門を貼ってゆくのであった。――だがこんな仕事は、せいぜい一と月もやれば、いやになるものだった。
しかし月日の経つのは早いもので、そのうちに刑務所のお正月を、とうとう五度、迎えてしまった。やがて二月が来れば、いよいよ娑婆《しゃば》の人になれることとなった。その後、あのラジウムは遂《つい》に怪《あや》しまれることもなく、私の独房の箒《ほうき》の中に、五年の歳月を送ったのだった。私に新たな希望の光がだんだんと明るく燃えだした。私は暮夜《ぼや》、あの鉛筆の芯《しん》ほどのラジウムを掌《てのひら》の上に転がしては、紅い灯のつく裏街の風景などを胸に描いていた。
ところが出獄《しゅつごく》も、もうあと三週間に迫ったという一月二十五日のこと、私の独房に、思いがけない二人の来訪者があった。
「オイ、一九九四号、起きてるか。――」
看守の後から背広姿の二人の訪客が入って来た。私は保釈《ほしゃく》出獄の使者だろうと直感した。
(オヤ)私は心の中で訝《いぶか》った。二人の客のうちの一人は、見知り越しの医務長だった。もう一人は、日焼けのした背の高いスポーツマンのような男だった。
「この男ですよ。入ったときは、実にひどい痔でしてナ、ところが私の例の治療法で、予期しないほど早く癒《なお》ってしまいました」
「はア、はア」
「どうか何なとお話下さい。あとでこの男の患部を御覧に入れましょう」
「いや、それには及びません。ただ、すこし話をして見たいです」
「それはどうぞ御自由に……」
その見馴《みな》れぬ紳士は、私の痔病について、いろいろと質問を発した。私はそれについて淀《よど》みなく返事をすることに勉《つと》めた。しかしあの病院のことだけは言わなかった。
紳士は大した質問もせずに、医務長と共に引上げていった。
そのあとで私はガッカリして、便器の上に蓋をして作ってある椅子の上に腰を下した。
(どうも変だナ)
紳士は一見医師としか見えぬ質問をしていったが、どうも医師くさいところに欠けているような気がした。疵《きず》を持つ脛《すね》には、それがピーンと響いたのだった。
(探偵《でか》かしら……)
にわかの不安に私の胸は戦《おのの》きはじめた。
(これァいかん)
私は真先に、ラジウムの処分問題を考えた。この調子では、私の肉ポケットに入れて出ることは、明かに危険であると感じた。きっと出獄の前に、いまの二人が私の肉ポケットを点検するだろう。そのときこそ百年目に違いない。――私は至急に別なラジウムの隠し場所を考え出さねばならなかった。
「オイ丸田」と作業場で声をかけたのは五十嵐だった。
「昨夜《ゆうべ》は大したお客さまだったナ」
「うん」
「あの若い方を知っているかネ」
「背の高い男のことだろう。――知らない」
「知らない? はッはッはッ。馬鹿だなァお前は。あれは帆村《ほむら》という探偵だぜ」
「探偵? やっぱりそうか」
「どうだ思い当ることがあろうがナ」
「うん。――いいや、無い」
「う、嘘をつけ。おれが力になってやる。手前《てめえ》の仕事のうちで、まだ警察に知れていないのがあるネ」
「いいや、何にも無い!」
私はいつになく、この無二の親友の好意を斥《しりぞ》けたのだった。いくら五ヶ年の親友だって、こればかりは打ち明けかねるというものだ。
それから私たちは、無言《むごん》の裡《うち》に仕事をやった。それは私たちにとって珍らしいことだった。二人はこの仕事の間に、たとえ話がないにしろ、軽い憎《にくま》れ口《ぐち》や懸声《かけごえ》などをかけて仕事をするのが例だったから。
黙《だま》っているお蔭で、遂に私は素晴《すば》らしいことを発見した。それはあのラジウムを、安全に獄外へ搬《はこ》びだす工夫だった。まず大丈夫うまく行くと思われる一つの思い付きだった。
その日、昼食《ちゅうじき》が済《す》んで、囚人たちは一旦各自の監房へ入れられ、暫くの休息を与えられた。やがて鐘の音と共に、またゾロゾロと列を組んで、作業場に入っていった。そのとき私は、あのラジウムを裸のままで持ち出した。それは柿色の制服の、腰のところにある縫い目に入れて置いた。
作業場へ入ると、私は一同に準備を命じた。私は組長だったから、作業の初めにあたって、一同の面倒を見てやるため、あっちへいったり、こっちへ来たりすることが許されていた。
「オイ、材料を見せろ」
と私は痩《や》せギスの青年に云った。
「へえ、これだけ出来ています」
私はその紙風船の花びらの束を解いて、パラパラと引繰りかえしていたが、
「おい、一枚足りないぞ」
「え?」
「ナニ、いいよいいよ」と私は云いながら、隅ッこに駄目な花びらが乱雑にまるめてあるところへ寄った。そして中から、一枚の柿色の花びらを取った。「こいつを入れとこう」
「それは駄目です」
柿色の花びら[#「びら」に傍点]というのは、実は不合格にすべきものだった。それは蝋紙《ろうがみ》の黄の上に、間違って桃色が二|重刷《じゅうずり》になったものだった。これは二色が重なって、柿色という思いもかけぬ色紙になった。元来すこし位、色が変わっ
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