うへ行ってしまうと間もなく看護婦は私に云った。
「動かないで下さい。ちょっとの間ですから。――」
 そういって彼女は、林檎のような頬に、千恵蔵《ちえぞう》氏のついている映画雑誌を懐《なつか》しくてたまらぬという風に押しあて、そして向うへパタパタと行ってしまった。多分その千恵蔵氏を残念ながら誰かに返す時間が来ていたのであろう。
 そこで私は、たいへん自然に、ベッドから起き上って脱出する機会を攫《つか》んだ。近所には別の青《あお》ン膨《ぶく》れの看護婦が、しきりに編物をしていたが、彼女は編物趣味の時間を楽しんでいるわけであって、管轄《かんかつ》ちがいのベッドに寝ている私の立居振舞《たちいふるまい》については、まったく無関心だった。だから私は実に威風《いふう》堂々と、あの部屋を脱出していった。
 私は直ぐに便所へ行った。
 鍵をしっかりおろすと、私はかねて勝手を知ったる身体の一部を指先でまさぐった。はたしてそこには、丈夫な二本の細い紐《ひも》の垂《た》れ下《さが》っているのを探しあてた。
「ううーン」
 と私は呼吸を図《はか》りながら、指先でその紐をギュッギュッと引張った。果して手応《てごた
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