うへ行ってしまうと間もなく看護婦は私に云った。
「動かないで下さい。ちょっとの間ですから。――」
 そういって彼女は、林檎のような頬に、千恵蔵《ちえぞう》氏のついている映画雑誌を懐《なつか》しくてたまらぬという風に押しあて、そして向うへパタパタと行ってしまった。多分その千恵蔵氏を残念ながら誰かに返す時間が来ていたのであろう。
 そこで私は、たいへん自然に、ベッドから起き上って脱出する機会を攫《つか》んだ。近所には別の青《あお》ン膨《ぶく》れの看護婦が、しきりに編物をしていたが、彼女は編物趣味の時間を楽しんでいるわけであって、管轄《かんかつ》ちがいのベッドに寝ている私の立居振舞《たちいふるまい》については、まったく無関心だった。だから私は実に威風《いふう》堂々と、あの部屋を脱出していった。
 私は直ぐに便所へ行った。
 鍵をしっかりおろすと、私はかねて勝手を知ったる身体の一部を指先でまさぐった。はたしてそこには、丈夫な二本の細い紐《ひも》の垂《た》れ下《さが》っているのを探しあてた。
「ううーン」
 と私は呼吸を図《はか》りながら、指先でその紐をギュッギュッと引張った。果して手応《てごた》えがあった。やがてズルズルと出て来たのは小銃の弾丸のような細長い容器に入ったラジウムだった。私はそれを白紙《はくし》の上に取って、ニヤリとほほえんだ。
「叩き売っても、まず……三万両は確かだろう」
 私は白紙をクルクルと丸めると、着物の袂《たもと》に無造作に投げこんだ。そして嬉しさにワクワクする胸を圧《おさ》えて、表玄関の人込《ひとご》みの中を首尾よく脱出したのだった。
 こうして私の永く研究していたスポーツは、筋書どおりにうまく運んだのだった。これで私も、末の見込みのない平事務員の足を洗って、末は田舎へ引込むなりして悠々自適《ゆうゆうじてき》の生活ができるというものと、悦《よろこ》びに慄《ふる》えた。
「ではお前は、あのラジウムを直ぐ処分したのかネ」と訊《き》かれるであろう。
 直ぐ処分するということは、凡《およ》そ泥棒と名のつく人間の誰でもやるであろうところの平々凡々の手だ。そして同時に拙劣《せつれつ》な手でもある。――私はそんな手は採用しなかった。
 そこで私の第二段の計画にうつった。それは、大変|突飛《とっぴ》な計画だった。私はその足ですぐに日本橋の某百貨店へ行った。そこの貴
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