なかった。
――と云う事件について、今も尚みなさんは多少の記憶を持っていられないだろうか。あの「ラジウム入り患者の失踪事件」というのが、新聞に報道されたのは、もう今から五年あまり昔のことだった。
あの事件に興味を持って、その後の記事を楽しみになすった方もあったろうが、そういう方はきっと失望せられたに違いない。なぜなれば、あれから後、あの患者が逮捕されたという話も無ければ、用務員さんがラジウムを発見して五百円貰ったという記事も出なかったからである。あの事件の報道は、あれっきりのことで、杳《よう》として後日物語がうち断たれてある有様だった。
五年あまり後の今日――
ここに図《はか》らずも、あの「ラジウム入り患者の失踪《しっそう》事件」の真相と、その後日物語を発表する機会を与えられたことを、みなさんに感謝する次第である。
さてあの時価金三万五千円也のラジウムはどうしたか。それから、あのラジウム入りの患者はどうなったか。
患者の方については、なによりもまず安心せられたい。あの思いやりのある婦長さんや、新聞記者君が心配して下すったことは、遂に杞憂《きゆう》に終ったのであるから。つまりあの患者は、ラジウムに生命《いのち》を取られることなしに、うまく助かったのである。そして今もピンピンしている。ピンピンしているどころか、こうして原稿用紙に向ってペンを動かしているのである。
あの失踪した患者というのは、実《じつ》は斯《か》くいうそれがし[#「それがし」に傍点]なのである。本名を名乗ってもいい。丸田丸四郎――これが私の本名である。
こう名乗ってしまうと、まず真先《まっさき》に訊《き》かれるだろうと思うことは、
「どうしてお前は、病院のベッドから居なくなったのだ」ということだろう。
これについては、正直に次のように答えたい。「そいつは予《かね》ての順序だったのだ……」
予ての順序だったのだ。つまりラジウムを挿入《そうにゅう》されて、ほんのすこしだけれど、じっと寝かされるのを待っていたのだ。医師と看護婦とは、私が寝台《ベッド》の上に釘《くぎ》づけになっているだろうことを信じて疑わなかった。
「動かないで下さい。ちょっとの間ですから」
と医師は私に云った。そして看護婦の方を向いて、
「いいかネ。二十分だよ。……僕は医局にいるからネ」
「はア。――」
そして医師が向
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