うより、むしろ飛び込んで来たという方が当っていた。その顔色と云えばまったく血の気もなく蒼褪《あおざ》めて――。
「ああーら、どこにもあの人、居ないわ。あたし、どうしましょう。ああーッ」
彼女は、藻抜《もぬ》けの殻《から》の寝台の上に身を投げかけると、あたり憚《ははか》らずオンオン泣き出した。その奇妙な泣き声に駭《おどろ》いて、婦長が駆けつけてくる。朋輩《ほうばい》が寄ってくる。はては医局《いきょく》の扉《ドア》が開いて医局長以下が、白い手術着をヒラつかせて、
「なんだなんだ」
「どうしたどうした」
と、泣き声のする見当《けんとう》に繰《く》り出《だ》してきた。
それからの病院内の騒ぎについては、説明するまでもあるまい。なにしろ時価三万五千円のラジウムを肛門に挿《はさ》んだ患者が行方不明になったというのである。患者のことは兎《と》に角《かく》、ラジウムはどっかそこら辺の廊下にでも落ちていまいかというので、用務員は勿論、看護婦までが総出で探しまわった。
「無い……」
「どうも見つからん」
「困ったわねエ。でも探すものが、あまり小さすぎるのだわ」
そのうちに廊下に大きな掲示が貼り出された。「懸賞」と赤インキで二重丸をうった見出しで、「ラジウムを発見したる者には、金五百円也を呈上《ていじょう》するものなり」と、墨痕《ぼっこん》あざやかに認《したた》めてあった。この掲示が出て騒ぎは一段と大きくなった。
だが結局、判らぬものは遂に判らなかった。五百円懸賞の偉力《いりょく》をもってしても、ラジウムは出て来なかった。なにしろ太さといえば鉛筆の芯《しん》ぐらいで、長さは僅か一センチほどというのであるから、廊下に落ちれば、風に吹きとばされるであろうし、便所の中に落ちてサアと流れ出せば、なおさら判らなくなるだろうし、ことに患者の体内に入ったままとすれば、患者がどこへ行ったかが判らなければ駄目だった。
病院の一室では、責任者たちの緊急会議が開かれた。結局原因は、ラジウムを盗むつもりでやって来たのだろうという説が有力だったが、婦長の如きは、患者が識《し》らずに三十分以上もあのラジウムを肛門に入れて置くと、ラジウムのために肛門の辺《へん》がとりかえしのつかぬ程腐って遂《つい》には一命《いちめい》に係《かかわ》るだろうなどと心配した。しかし誰が盗んでいったか、そいつばかりは誰にも判ら
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