き、タキシードのポケットというポケットを探した。
 ズボンの右のポケットに、ロールしたパンがぺちゃんこになって入っていた。口のところへ持っていくと、ぷーんと黴《かび》くさい臭《にお》いがしたので、舗道《ほどう》のうえへ叩きつけた。そのほかには、油に汚れたよれよれのハンカチーフが出てきただけであった。手帳もなければ、紙幣入《かみい》れもない。銀貨銅貨一つさえ見当らなかった。
「タキシード一着、中国服一着、預金帳二冊、ハンカチーフにパン――これだけが仏天青氏の素姓《すじょう》を語る材料なんだ。ふふん」
 不安の中に戦《おのの》いていた彼は、そこで思いがけないパズルの題を渡されたような気がして、なんだか楽しくなってきた。そして、また舗道のうえを、リバプールに向けて歩きだしたが、彼の足どりは、以前にも増して、元気をつけ加えたようであった。
 空は、どんより曇っていた。しかし、風が相当吹いていたから、やがて晴天《せいてん》になるであろう。
(さて、これから自分は、いかにして、わが家に戻るべきであろうか)
 阻塞気球《そさいききゅう》は風に揺《ゆ》れていた。
(おれは旅人《たびびと》らしい。わが家
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