まうなんて……)
 と、そのときは、当惑したものであるが、しかるに只今、彼の身辺《しんぺん》には、二人妻どころか、只の一人も、妻がついていないのであった。彼は、全く変な気がした。……
 そんなことを考えつづけているとき、さっきから、彼をこっぴどい目にあわせた車掌が、彼の前を通りかかった。
「もし、車掌さん。前の列車にいるアンと、連絡がつきましたかね」
 彼は、胸を躍らせて、車掌の返事を待った。
「そんな乗客は、いなかった。尤《もっと》も、私は、始めから、君の言葉を信用していなかったが……」
「そんなことは嘘だ。アンは待っている」
「嘘ですよ。中国人は、見《み》え透《す》いた嘘を、平気でつくものだ。日本人は、そんなことをしない」
 車掌は、そういって、彼の手をすげなく振り切って、向こうへ行ってしまった。
「そんな筈はない……」
 彼は、拳《こぶし》を固《かた》めて、自分の膝のうえを、とんとんと叩いた。
「そんな筈はない。あの車掌め、中国人を侮辱する怪《け》しからん奴だ」
 彼は、爆発点に達しようとする憤懣《ふんまん》をおさえるのに、骨を折った、孤立無援《こりつむえん》の彼は……。
 列車
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