に、彼は仏天青|名義《めいぎ》の二冊の貯金帳を持っているではないか。
 彼が“仏天青”ではないと言われたのは、バーミンガム駅にいた女だけだった。いや、それから、この列車の憲兵と車掌も、彼に対し幾分|疑惑《ぎわく》を持っているのだ。
 これらを差引きして考えると、彼が仏天青であることの方が、そうでないことよりも、有力であると考えられる。あの女に逢うまでは、このような疑惑は、殆《ほとん》ど起らなかったのだ。あのバーミンガムの女こそは、懐疑《かいぎ》の陰鬼《いんき》みたいなものであった。
(おれは、仏天青に違いないのだ!)
 そう思いながらも、彼は、あの女の残していった科白《せりふ》、
“こんな若僧《わかぞう》じゃない!”
 という言葉が、いつまでも無気味《ぶきみ》に思い出されるのであった。
 彼のもう一つの当惑《とうわく》は、妻君のことだった。バーミンガムの駅で、あの女に取《と》り縋《すが》られたときには、妻が二人出来たかと思って、すくなからず愕《おどろ》いたのだった。つまり、列車の中に待っている可愛いアンと、そしてこの塩漬《しおづ》けになったような中国女であった。
(女房を二人も持ってし
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