かね」
 こんどは、彼が逆に金蓮の腕をつかんだ。
「どんな字を書くって。こういう字だよ。あれっ、あたしは、忘れちまったよ。あそこに、書いたものを落して来た。ああ、誰かに拾われると、たいへんだ。仏天青を拾っちゃいけないよォ」
 金蓮は、彼をはげしく突き飛ばすと、駅の入口の方へ走り出した。
 仏は、おどろいて、その後を追おうとした。すると駅員が、彼の腕を抑《おさ》えて留《と》めた。
「およしなさい。あの女は、頭が変なんです。誰にでも、ああするのです。構《かま》わない方がいいですよ」
「しかし仏天青というのは……」
「仏天青という名前は、私たちも、耳にたこの出来るほど聞いていますよ。あの女のいうところに従えば、その御亭主は、大使館|参事官《さんじかん》で、そして世界一の美男子《びだんし》だそうです」
「大使館参事官?」
「どうも、あてにはなりませんがね」
 駅員の話を聞いていると、あの女は、現在こそ変になっているが過去の事柄については、かなり正確な記憶を持っているように思われた。彼女のいう仏天青は、大使館参事官であって、彼よりも年配《ねんぱい》の者であり、そして美男子である――と、これだけの
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