。そしてフランス語だった。しかしアンの声ではない。
「誰!」
 仏が、ふりかえってみると、彼に抱きついていたのは、一人の中国人らしい若い女だった。
「あなた。あたし、どんなにか探していたわ。もう放れちゃ、いやよ」
「誰だ、君は」
「あなたの妻じゃありませんか。いやだわ、うちの人は。あたしを忘れてしまうなんて」
「人ちがいだ。放してくれ」
 仏は、女の様子に、変なところがあるので、彼女の手をふりほどいた。
「仏天青《フォー・テンチン》。あたしを捨てていくつもり。ねえ、仏天青」
「仏天青。おれの名前を知っているのか」
「仏天青。あたしは、妻の金蓮じゃありませんか」
 仏は、おどろいた。全く、寝耳に水の愕《おどろ》きであった。彼の名前をいいあてたばかりか、その金蓮という女は、自分は妻だというのである。
「おれの妻はアンだ。それに、今また仏天青の妻の金蓮だと名乗る女が現れた。一体、これは、どういうわけだろう。どっちが本当かしら」
 彼の頭は、こんがらがった麻糸《あさいと》のように乱れた。どうすればいいのやら、わけがわからなくなった。
 困惑《こんわく》しきっている間に、時間がたってしまった。ふ
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