いの熱いコーヒーを味わっていてくれるよう、ということだった。
 二人の女は、なかなか出て来なかった。一体、奥で、なにをしているのであろうかと、仏が立ち上ったとき、やっと声がして、二人の女は出て来た。
「あなた、これよ。このバッグを二つ、持ってくださらない。あたしは、この小さいのを二つ持ちますわ」
 仏は、そこへ並べられたバッグを見たが、一向|見覚《みおぼ》えがないものだった。記憶の消滅の情《なさ》けなさ。
 二人は、下宿を出た。
 駅の方へ歩きながら、仏が、ふと思い出したようにいった。
「ねえ、アン。おれは懐中《かいちゅう》無一文なんだがねえ、リバプールの英蘭《イングランド》銀行支店で、預金帳から金を引出していく暇はないだろうか」
「否《ノウ》。そんなことをしていれば、列車に乗り遅れてしまいます」
「じゃあ、一列車遅らせてはどうだ」
「それは駄目。あの列車に、ぜひとも乗らなくては。だって、いつまたドイツ機の空襲で、列車が停ってしまうか分らないんですもの」
 そういったアンの顔は、仏が始めて見る真剣な顔付であった。空襲を要慎《ようじん》してということだったけれど、それにしても、それほど深
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