たものだった。彼は、いそいで、それを出して展《ひろ》げた。
新聞は、ロンドン・タイムスだった。日附を見ると、八月十日とある。かなり古い日附の新聞だった。七八ヶ月も前の新聞だ。
わがイギリス軍と独伊枢軸側《どくいすうじくがわ》との戦闘は、フランス戦線をめぐって猛烈を極めているとの記事で充満していた。フランス遠征のわがイギリス軍は、ついに総引揚《そうひきあげ》を決行した。ドイツ機必死の猛爆にも拘《かかわ》らず実に巧妙に、そして整然と、わがイギリス兵は本国へ帰還したと、写真入りで報道してあった。
(なあんだ、イギリス軍は負けているじゃないか。そして、フランスは、ドイツ軍の靴の下に、踏み躙《にじ》られようとしているではないか。これは重大なる戦局だ――現在はどうなっているのだろうか)
他の記事によると、イギリス軍のフランス撤退《てったい》について、多数のフランス人が、汽船や飛行機にのって、イギリス本土へ避難《ひなん》して来たことをも報じていた。
“今やイギリス本土は国際避難所の如き感がある!”
などという記事も見える。
“必要ならば、フランス政府も、一時ロンドンに移転するかもしれない”
そういう記事もあった。また、
“ドイツ軍の長距離砲|敢《あ》えて恐《おそ》るるに足《た》らず、われまた、更に一歩進んだ新長距離砲をもって酬《むく》いん!”
という記事もあって、いよいよ近く英独は、ドーヴァ海峡《かいきょう》を距《へだ》てて対戦するであろうことを示唆《しさ》しているものもあった。
「そうすると、中国は、この欧州の戦局に対して、どういう役割をしているのかな」
仏天青は、そういう疑問にぶつかった。
そこで彼は、新聞紙をいくたびか畳《たたみ》かえして、そういう記事のある欄《らん》を探した。
“東洋”という欄が、ようやくにして、見つかった。わが中国は、安心なことに、まず、イギリス側に立っているようであった。イギリスからは、また新借款《しんしゃっかん》を許したそうであり、兵器弾薬は、更に活発に、中国へ向けて積み出されていることが分った。
「このようなイギリス側の援助をうけて、わが中国は、東洋で、ドイツ軍を迎えるのであろうか」
彼は、また奇妙な疑問にぶつかった。
だがむさぼるように、その先の記事を拾っていくと、終りの方に、彼を愕《おどろ》かせるに足る記事があった。
“首都|重慶《じゅうけい》は、昨夜、また日本空軍のため、猛爆をうけた。損害は重大である。火災は、まだ已《や》まない。これまでの日本空軍の爆撃により市街の三分の二は壊滅《かいめつ》し、完全なる焦土《しょうど》と化《か》した。しかも、蒋委員長は、あくまで重慶に踏み留《とど》まって抗戦する決意を披瀝《ひれき》した”
日本が中国を攻撃している! あの小さい日本が、大きな中国を攻撃しているのだ。なんというおかしなことであろう。一体、中国の空軍は、なにをしているのであろう。中国の空軍の活躍については、生憎《あいにく》ニュースがなかったのか、なにも記載《きさい》がなかった。
「日本軍は、敵ながら、なかなか天晴《あっぱれ》なものだ」
仏天青は、ひどく日本軍の勇敢さに、ひき入れられた。敵国が好きになるとは、困ったことであった。
彼は、新聞紙を、また折りかえして、次なる頁《ページ》に目をやった。
「おや、こんなところに、アンダーラインしてあるぞ」
今まで気がつかなかったが、下欄《げらん》の小さい活字のところが、数行に亙《わた》って、黒い鉛筆でアンダーラインしてあった。そこを読むと、こんなことが書いてあった。
“パリ発――日本大使館附フクシ大尉は、ダンケルク方面に於いて、行方不明となりたり。氏は英仏連合軍の中に在りて、自ら偵察機《ていさつき》を操縦して参戦中なりしが、ダンケルクの陥落《かんらく》二日前、フランス軍の負傷者等を搭載《とうさい》しパリに向け離陸後|消息《しょうそく》を絶ちしものなり。勇敢なる大尉及び同乗者等の安否《あんぴ》は、極めて憂慮《ゆうりょ》さる”
それを読んだ仏《フォー》は、舌を捲いた。
「ふーん、日本軍人は、ここでも勇敢なことをやっている。勇敢なる中国軍人のニュースは、一体どこに出ているのだろうか」
生憎《あいにく》と、その日は、中国軍人が活躍しなかったものと見え、他をしらべても、中国軍人の勇敢さについては一行半句《いちぎょうはんく》も出て居らず、ただ、列強の対中援助のことだけが、くどくどと書いてあるばかりだった。
9
「あら、あなた、なにを読んでいらっしゃるの」
眠っているとばかり思っていたアンが、いきなりむくむくと起き上って、仏《フォー》の持っていた新聞をひったくった。
アンは、なぜか、険《けわ》しい目をして、新聞の面を大急ぎで見てい
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