。ばらばらと、天井から砂が落ちて来た。大地は、地震のように鳴動《めいどう》した。
「マスクは、出してお置きなさい。マスクのない人は、奥へいってください」
 あっちでもこっちでも、お祈りの声だ。
「今度は、あぶない」
「おい、もっと奥へいこう」
 揉《も》みあっている一団があった。
「騒いじゃ、駄目だ、敵機の音が聞えやしない」
「あたしゃ、昨日の空爆で、両親と夫を、失ったんだ。こんどは、あたしの番だよ。自分がこれから殺されるというのに、黙っていられるかい」
「まだ子供がいるだろう。年をとった別嬪《べっぴん》さん」
「なにをいうんだね。子供なんか、初めから一人もないよ」
「そうかい。だからイギリスは、兵隊が少くて、戦争に負けるんだ」
「なにィ……」
 そのときだった。
 天地もひっくりかえるような大音響《だいおんきょう》が起った。入口の方からは、目もくらむような閃光《せんこう》が、ぱぱぱぱッと連続して光った。防空壕は、船のように揺れた。そして異様《いよう》な香りのある煙が、侵入してきた。がらがらと壁が崩れる音、電灯は、今にも消えそうに点滅《てんめつ》した。避難の市民たちは一どきに立ち上って、喚いた。
「逃げろ。爆弾が、こんどはこの防空壕をこわすぞ」
「貴様、うちの子供の上に……」
「あ、毒瓦斯《どくガス》。マスクだ、マスクだ」
「国歌を歌おう」
「毒瓦斯だ。そう来るだろうと思ったんだ、ナチ奴《め》!」
 だが、それは毒瓦斯ではなく、単に硝煙《しょうえん》であった。破甲爆弾《はこうばくだん》が、この防空壕の、すぐ傍《わき》に墜ちたのだった。
 入口から、ばらばらと数人の者が駆けこんで来た。何か長いものを持ちこんで来たと思ったら、それは負傷者だった。
「胸だ、胸だ。シャツを裂《さ》け」
「こっちへ寄せろ。電灯《あかり》の方へ……」
 胸を真赤に染めた男の顔が、電灯の光に、ぱっと照らし出された。その男は、紙のように、真白な顔色をしていて、目が引きつっていた。よく見ると、それは、さっき、アンを咎《とが》めた私服警官であった。
「あなた、逃げましょう」
「えっ」
「綱を切ってよ。ナイフは、ここにあるわ」
「よし、こっちへ貸せ」
 どこから出したものか、アンの手にはジャック・ナイフがあった。仏天青は、刃を出すと、ぷすっと綱を切《き》った。
「ああ、助かった。さあ、逃げるのです」
「アン、どこへいく。あ、今、外へいっちゃ、危い。入口でやられた人があるじゃないか」
「いいのよ。こうなれば、どこにいても同じことよ。さあ一緒に逃げてよ」
 アンは、ぐいぐいと仏天青の手を引張った。
「危い。もうすこしの間、待て」
「いいえ、待てないわ。じゃ、あたしひとりでいきますわ」
 アンは、入口の方へ上っていった。
「おい、アン、待て。おれも出る」
 仏は、そういうと、中国服の裾《すそ》を摘《つま》んで、アンの後を追った。


     5


 防空壕を飛び出してみると、外は、今爆撃の真最中だった。
 頭上には、ドイツ機が、縦横《じゅうおう》に飛んでいた。爆弾は、ひっきりなしに落ちて、黒い煙の柱をたてた。大地は、しきりに震《ふる》う。
「おーい、アン」
 仏《フォー》は、精一杯の声をあげて、アンを呼んだ。
「あたし、ここよ」
 うしろで声がした。見ると、アンは、そこに跼《かが》んで、腰の周《まわ》りについていた綱を、解いているところだった。
「呑気《のんき》だね、今、そんなことをして……」
「もう解《と》けたの。大丈夫ですわ。さあ、あなた、この車にしましょう」
「えっ」
 アンは、防空壕の入口に乗り捨てられてあった自動車の一台に駆けよると、運転台の扉《ドア》をあけて、とびこんだ。
「早く、さあ、あなた」
 仏は、アンの心を解しかねたが、ぐずぐずしているわけにもいかず、つづいて、運転台にとびのった。
「あら、あなたと反対だったわね」
 アンは、ハンドルのことをいっているらしかった。
「よし、こっちへ替《かわ》れ。おれが、運転する」
「そんな暇はないわ。あたしが動かします」
 そういうと、アンは、ためらうことなく、エンジンを掛けた。そしてアクセルを踏んで、車を出した。
 それからのちの、アンの働きぶりは、驚嘆《きょうたん》に値《あたい》するものがあった。
 彼女は、その子供らしい顔に似合わず、非常に巧みに操縦をした。そして爆撃に震う舗道《ほどう》のうえを全速力でもって、リバプールの町の方へ飛ばしていった。
 いつ、爆弾が、上から降ってくるかしれなかった。アンは、それでも、平気なものであった。彼女の目は、いつも前方を見つめていた。
 一度は、丁度《ちょうど》さしかかった町辻《まちつじ》の郵便局へ、爆弾が落ちた。
「あ――」
 と、アンは叫んだが、そのまま速力をゆるめな
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