だ。
 ところが、そのとき彼は、また大発見をしたのだ。タキシードのポケットに手を入れてみると、何か硬い表紙をもった帳面のようなものが手に触《ふ》れたのである。なんだろうと、引張《ひっぱ》り出してみて愕《おどろ》いた。それは、銀行の預金帳であった。二冊もあった。
 彼は、ますます愕いて、二つの預金帳の頁《ページ》を開いて、しらべた。一冊は英蘭《イングランド》銀行のもので在高《ざいだか》は五万ポンド、もう一冊はフランスのパリ銀行のもので七百十七万フランばかりの在高が記入してあった。そして、どっちの帳面にも、この預金主の名として「ミスター・F」とのみ記《しる》されてあった。
 これは、ミスター・Fの財産だ。相当の金だ。
 彼は、ほっと安心していいのか、それとも他人の金を握ったことを気味わるく感じるべきかについて迷った。
 だが、結局、ミスター・Fというのは、中国人|仏天青《フォー・テンチン》の略称《りゃくしょう》であろうと気がついたので、ようやく心は一時|落着《おちつ》いた。
「この分なら、ポケットから、もっといろいろなものが飛び出して来やしないかなあ」
 そう思った彼は、また中国服の前を開き、タキシードのポケットというポケットを探した。
 ズボンの右のポケットに、ロールしたパンがぺちゃんこになって入っていた。口のところへ持っていくと、ぷーんと黴《かび》くさい臭《にお》いがしたので、舗道《ほどう》のうえへ叩きつけた。そのほかには、油に汚れたよれよれのハンカチーフが出てきただけであった。手帳もなければ、紙幣入《かみい》れもない。銀貨銅貨一つさえ見当らなかった。
「タキシード一着、中国服一着、預金帳二冊、ハンカチーフにパン――これだけが仏天青氏の素姓《すじょう》を語る材料なんだ。ふふん」
 不安の中に戦《おのの》いていた彼は、そこで思いがけないパズルの題を渡されたような気がして、なんだか楽しくなってきた。そして、また舗道のうえを、リバプールに向けて歩きだしたが、彼の足どりは、以前にも増して、元気をつけ加えたようであった。
 空は、どんより曇っていた。しかし、風が相当吹いていたから、やがて晴天《せいてん》になるであろう。
(さて、これから自分は、いかにして、わが家に戻るべきであろうか)
 阻塞気球《そさいききゅう》は風に揺《ゆ》れていた。
(おれは旅人《たびびと》らしい。わが家
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