英本土上陸作戦の前夜
海野十三
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【テキスト中に現れる記号について】
《》:ルビ
(例)英蘭《イングランド》
|:ルビの付く文字列の始まりを特定する記号
(例)中国人|仏天青《フォー・テンチン》の
[#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定
(例)わし[#「わし」に傍点]
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英蘭《イングランド》西岸の名港《めいこう》リバプールの北郊《ほっこう》に、ブルートという町がある。
このブルートには、監獄《かんごく》があった。
或朝、この監獄の表門が、ぎしぎしと左右に開かれ、中から頭に包帯《ほうたい》した一人の東洋人らしい男が送り出された。
彼に随《つ》いて、この門まで足を運んだ背の高い看守《かんしゅ》が、釈放囚《しゃくほうしゅう》の肩をぽんと叩き、
「じゃあミスター・F。気をつけていくがいい。娑婆《しゃば》じゃ、いくら空襲警報が鳴ろうと、これまでのように、君を地下防空室《ちかぼうくうしつ》へ連れこんでくれるわし[#「わし」に傍点]のような世話役はついていないのだからよく考えて、自分の躯《からだ》をまもることだ」
「……」
「おう、それから、君の元首《げんしゅ》蒋将軍《しょうしょうぐん》に逢ったら、わし[#「わし」に傍点]がよろしくいったと伝えてくれ。じゃあ、気をつけていくがいい」
「……」
ミスター・Fと呼ばれたその釈放囚は、新聞紙にくるんだ小さい包を小脇にかかえて、無言のままで、門を出ていった。
それからは、やけに速足《はやあし》になって、監獄通りの舗道《ほどう》を、百ヤードほども、息せききって歩いていったが、そこで、なんと思ったか、急に足を停《と》め、くるりと後をふりかえった。
彼の、どんよりした眼は、今しも出てきた厳《いかめ》しい監獄の大鉄門のうえに、しばし釘《くぎ》づけになった。
そのうちに、彼の表情に、困惑《こんわく》の色が浮んできた。小首《こくび》をかしげると、呻《うめ》くようなこえで、
「……わからない。何のことやら、全然わけがわからない」
と、英語でいった。
溜息《ためいき》とともに、彼は、監獄の門に尻をむけて、舗道のうえを、また歩きだした。もう別に、速駆《はやが》けをする気も起らなくなったらしく、その足どりは、むしろ重かった。
「……わからない」
彼は、つぶやきながら、歩いていった。どうい
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