、全く思い出せないふしぎさ。彼は、自分自身が、一体何者であるかを知ろうとして、焦《あせ》った。
「おれは、中国人かな。どうも、おかしい」
そのとき、彼は、ふと自分の足許に転《ころ》がっている紙包に気がついた。それは、監嶽を出るとき、看守から渡されたものであった。
どうやら、これは、自分の所持品らしいが、一体中には、何が入っているのであろうか。その中にこそ、彼の素姓《すじょう》を語る貴重な資料があるのに違いない。彼は一大発見をしたように思い、声をあげて、大急ぎでその新聞紙包の紐《ひも》を解いてみた。
中から、出て来たものは、一体何であったろうか?
2
一着の、長い中国服だ!
中から出てきたものは、裾も手も長い、まっ黒な地色の中国服であった。そのほかになにもない。
「中国服か、やっぱり……」
彼は、首を左右にふりながら、服の裏をかえしてみた。すると、そこに白い糸で、仏天青《フォー・テンチン》と、漢字が縫つけてあった。
「仏天青? はてな、これが、おれの名前かな」
仏天青といえば、中国人の名前のようである。するとやっぱり、自分は、中国人なのであろうか。
看守が君の元首蒋将軍によろしくといったことが思いあわされる。
「中国人だったのか、おれは……」
仏天青――と今後彼をそう呼ぼう――は、まだぴったりしないような顔付で、ひとりごとをいった。
それから仏《フォー》は、ふと、今自分が着ている服に目をうつした。それは中国服ではなく、タキシードであった。しかしひどく汚れていた。上も下も胸も、泥まみれになっていたうえ、肘《ひじ》のところは破れ、ズボンにも、かぎ裂《ざ》きのような箇所があり、見れば見る程、見られたざまではなかった。
「ふーん、これはどうしたんだ」
どこで、こんなに土まみれとなり、かぎ裂きをこしらえたのであろうか。彼は、急に恥《は》ずかしさがこみあげて来た。そこで、彼は下に落ちていた中国服をとりあげると、埃《ほこり》をはらって、タキシードの上から着た。そして、あわてて襟《えり》を合わせた。
彼は、それからまた歩きだしたが、何思ったか、また引返した。そして舗道《ほどう》のうえを風にあおられて匐《は》っていく、包紙の新聞紙を、靴の先で踏まえた。彼は、その新聞紙をとりあげて見ていたが、そのまま畳《たた》んで、タキシードのポケットにねじこん
前へ
次へ
全42ページ中3ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
海野 十三 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング