がく》のすこし左へよったところを指し、
「見たところ、傷は殆どなおっているんですけれど、爆弾の小さい破片が、まだ脳の附近に残っているらしいのです。レントゲン――いえ、エックス線の硬いのをかけて、拡大写真を撮らないと、その小破片《しょうはへん》の在所《ありか》がわからないのですって。ですけれど、こうしていつも傍《そば》についているあたしの感じでは、その小破片は、もうすこしで、脳に傷をつけようとしているんだと思います」
「ああ、よくわかりました。奥さんも、御心配でしょう。御主人の御本復《ごほんぷく》を祈ります。じゃあ、ロンドンの中国大使館へは、私の方から取調べ票《ひょう》を送って置きますから」
「はい、どうもありがとうございました」
「じゃあ御大事に。蒋将軍にお会いになったら、どうぞよろしく」
 憲兵は、最後に、仏天青《フォー・テンチン》に挨拶《あいさつ》すると、次のコンパートメントへ移っていった。
 アンと憲兵との会話を、傍で聞いている間に、仏は、異常な興奮を覚えた。
(まだ、アンを疑っていたが、とんでもないことだった。アンは、たしかに、自分の妻にちがいないんだ。なぜって、自分さえ知らない頭部の負傷のことを、その始めっから、現状まで、くわしく心得ているのだ。妻を疑ってすまなかった。もう妻を疑うのは、この辺で、はっきりお仕舞《しまい》にしよう)
 彼は、アンに対し、それを口に出して、謝《あやま》りたくて仕方がなかった。しかし、そんなことをすれば、アンの軽蔑《けいべつ》をうけるばかりで、何の益《えき》にもならないと思ったので、それはやめることにして、只《ただ》心の中で、アンに詫《わ》びた。
 アンと憲兵との話によって、仏は、かねて知りたいと思っていた頭部の負傷の謎が解けたことを、たいへんうれしく思った。
 これは、空爆《くうばく》で、爆弾の破片によってうけた傷であったのか。前額の左のところに、その気味のわるい前途《ぜんと》を持った傷口があったのか。そんなことを考えると、その傷口のことが、俄《にわか》に心配になった。そこで、そっと手をあげて、包帯《ほうたい》のうえから、傷口を抑《おさ》えようとした。
「およしなさい、あなた。触っちゃ、いけません。脳の傷は恐しいのです。刺戟《しげき》を与えることは、大禁物《だいきんもつ》ですわ」
 そういって、アンは、仏の手をおさえて、彼の膝
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