取出して、隅っこに小さくなって頁を拡げていることが多かった。しかしそれを読み耽《ふけ》っているわけでもないらしく、時には一時間も一時間半も、同じ頁を開いたままのこともあった。
 ベラン氏にかわり、ベラン夫人ミミがのさばり出した。彼女は一家の暇のある姉娘のように、誰彼の服装について遠慮のない口をきくかと思えば、針と糸とを持ち出して、綻《ほころ》びを繕《つくろ》ったり、そうかと思うと、工作室から鉋《かんな》や鋸《のこぎり》を借りてきて、手製の額を壁にかけたりした。
「ベラン夫人。貴女は名誉家政婦に就任されたようなものですね」
 と、僕は、壁に釘をうつ美しい夫人の繊手《せんしゅ》を見上げながら声をかけた。額の中の絵は、ボナースの水彩画で、スコットランドあたりの放牧風景の絵であった。
「岸さんたら、お口の悪い。あたし、運動不足で困っているのよ」
「なるほど。室内体操場で、バスケットボールでもやったらどうですか」
「満員つづきで、とても番が廻ってきませんわ」
「旦那さまをお相手に、室内で輪投げなど如何《いかが》です」
「ああ、それはいい思いつきですわね。でもベラン氏は、あのとおり、運動嫌いですも
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