どすんと、博士の立っている足もとまで、すべりおちました。
2
どうも腑《ふ》におちないのは、大利根博士のそぶりです。
いまも、帆村が足をふみすべらせ、あっという間に博士の足下まで岩根をすべりおちたから、博士もはっと気をのまれて、それっきりになりましたが、もしもあのとき、帆村が岩根をすべりおちないで、断崖につかまってぐずぐずしていたら、博士は次にどんな怪しいふるまいをしたかわかったものではありません。そういえば、あのとき博士の右手は、すでに腰のあたりへのび、なにかピストルでもさぐろうとしたらしいのです。
ずるずると博士の足下にすべりおちた帆村探偵の幸運を、彼のために祝ってやらねばなりません。そうです、全く油断のならない大利根博士と名乗る人物です。あの利口な帆村探偵も、まだそれと気がついていないのでしょうか。あたりには、味方の姿もない恐しい洞穴の中です。一度は危難をまぬかれた帆村のうえに、これからどんな禍がふって来ることでしょうか。それを思うと気が気ではなくなります。
「大利根博士、僕は、いますこしで腰骨を折るところでしたよ。あ、おどろいた」
博士は、急に作り笑顔になって、
「全くあぶないところだから、いつも足下に気をつけていたまえ」
「はあ、ありがとうございます。なに、もう大丈夫です」と、帆村は博士の横に立ちあがり、
「そこでおたずねしますが、怪塔王が体をぶっつけた岩というのは、一体どの岩でしょうか」
「ああ、その岩かね、――」博士は口ごもりながらあたりをきょろきょろながめ、「ええその岩というのは――そうだ、たしかあの岩だったとおもうよ」
そういって博士が指さしたところを見ると、二人の立っているすぐ目の前に、渦巻く海水にとりまかれた一つの小さい島のような平な岩がありました。
3
怪塔王が体をうちあてたのはあの岩だと、大利根博士が指さしましたので、帆村が見ると、それはものすごい潮の流にとりかこまれた小さい島のような岩礁でありました。
「ああ、あれですか。ものすごい岩ですね。怪塔王の体は、あの岩にあたって、それからどの辺へ跳ねおちたのですか」
帆村探偵は、なにげなしにたずねました。
「ううん、それはこっちだ。あの岩礁の左の方だ」
帆村探偵は、それを聞くと、ふしぎな気がしました。怪塔王の体が岩の割れ目から落ち、目の前に見える岩礁につきあたったとすると、もし、はずみをくらって、更に潮の流へとびこんだものとすると、どうしても岩礁の向こうにおちるはずです。それが左におちたとは、ふしぎなこともあればあるものです。
つぎに帆村は、大利根博士に頼んで、魚油灯をかしてもらいました。そして岩礁の上をそれで照らしてみました。帆村の考では、岩礁の上に、怪塔王が体をうちあてたときには、きっと血を流したことであろうとおもいました。その血が見つかるといいと思ったのです。
しかし、ふしぎにも、血らしいものは、岩礁の上に見あたりません。そうかといって、潮が洗い去ったようでもありません。
帆村は、小首をかたむけました。
(はてな、これは変だぞ!)
帆村は、ふしぎなかずかずの疑問を大利根博士にたずねようかと思いました。――が、待てしばし!
(どうも、この大利根博士というのが、不思議な人物だぞ。はて、一体どうしたというわけだろう)
帆村は、ようやくそのことについて思いあたりました。そう思って、前からのことを思いかえしてみると、怪しいふしぶしがたくさん出てきます。
(これは油断がならないぞ)
4
油断のならない洞穴の大利根博士です。帆村探偵は、夢から覚めたように、おどろきました。
そういえば、この大利根博士という人物が、怪塔王のおちた岩の割れ目から入れかわりに出てきたのが変です。いや、それだけではありません、帆村探偵が声をかけたときの、あのへどもどした返事のしかたは、どうも怪しい。
(さあ、この大利根博士は、ただ者ではないぞ。これはたいへんなことになった)
博士の話によると、怪塔王は岩礁の上におちたというのに、血も流れていません。渦を巻く海水の中を見ましたが、怪塔王の死体も見えなければ、その持物も何一つ浮いていないではありませんか。
怪塔王が死んだと思ったのは、あの岩の割れ目から、この洞穴の中へ墜落したことと、それから間もなく起った悲鳴でありました。今のところ、それ以上、怪塔王の死をものがたるたしかな証拠はないのです。
(これは油断がならないぞ。下手《へた》をすれば、怪塔王は、まだその辺に生きている! その上、この怪しい大利根博士だ。そして場所は、勝手もわからぬものすごい洞穴の中だ!)
さすがは帆村探偵です。すぐれた推理をたてて、ついに自分の背後にせまる大危険を察したのでありました。
(これから
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