追われ、太平洋の波間に姿をけしてしまった怪塔は、そののち海上の監視艦の目に二度とうつりませんでしたが、じつはその怪塔は、波の下のふかいふかい海の底に、じっと横たわっていたのです。
 そこは水深四百メートルといいますから、たいへんな深さの海底です。
 太陽の光も、もうここには届かず、あたりはインキをとかしたように、まっくろで煙のような軟かい泥が、ふわりと平《たいら》に続いています。さすがに海藻も生えていません。まるで眠っている沙漠とおなじことであります。
 その軟泥《なんでい》の寝床のうえに、怪塔は横たおしになったまま、じっとしていました。ただ怪塔の窓には、内部のほの明るい電灯の光がうつり、まるで、魔物の目をあけて、あたりを睨《にら》んでいるように見えます。
 さあ、怪塔の中は、一体どうなっているでしょうか。
 ここは二階の機械室です。
 怪塔が横になっているので、すべての機械るいは横たおしになっています。
 三人の黒人が入っている三つの太い鉄の円筒もみな横むきになっていました。
 帆村探偵は、どこにいるのでしょうか。
 それから、問題の怪塔王は、いまなにをしているのでしょうか。
「どうだ、もういい加減に降参したがいいだろう」
 どこかで聞いたような声ですが、三階の階段のかげから叫びました。階段のかげにうずくまっている一|箇《こ》の人影――こっちへ顔を出したところをみればそれは例の汐《しお》ふきそっくりの怪塔王の顔でありました。彼は一体誰に、(もう降参をしろ)などとよびかけているのでしょうか。

     2

 怪塔のなかの不思議な会話です。
「だ、誰が降参するものか。このインチキ怪塔王め!」
 おやおや、そういう声はたしかに、怪塔王の声でありました。そう叫んだ人物は、どこにいるかとさがして見ますと、一階の階段のうしろに隠れて、こっちをうかがっている一箇の怪人物がそれでした。どうしたのか、この人は、自分の首を黒い風呂敷みたいなもので、すっかり包んでいます。
 そうです、この方が『声の怪塔王』でありました。三階の階段から顔を出している方が『顔の怪塔王』でありました。つまり二人の怪塔王は、たがいに勝手気ままな号令を出して、操縦士の黒人をこまらせていたところでありました。声の怪塔王と顔の怪塔王との戦《たたかい》は、まだつづいていたものと見えます。二人の怪塔王なんて、変なはなしです。一体どっちがほんとうの怪塔王でしょうか。
「なにがインチキなものか、貴様こそ偽《にせ》ものの怪塔王だろう。くやしかったら、貴様が顔をつつんでいる風呂敷をとって、黒人やわしに、貴様の地顔を見せろ」
「ば、ばかな!」
 と言いすてましたが、声の怪塔王は、そのあとで、うーんと呻《うな》っています。よほど弱っているものと見えます。
「さあ、もういいだろう。そのへんで降参したがいいじゃないか」
「いやだ。天下無敵の怪塔王が、貴様のようなインチキ野郎に降参したり、この大事な怪塔をとられたりしてなるものか」
 と、声の怪塔王はあくまで降参を承知しませんでしたが、そのうちに彼は急に何事かに気づいたという風に、
「おお、そうだ。貴様の空《から》いばりは勝手だが、この怪塔は、そういつまでも深海の底にじっとしていることは出来ないんだぞ。ある時間が来ると、自然爆発をするようになっているんだ。貴様は、それでも驚かないと言うのか」

     3

『声』の怪塔王と『顔』の怪塔王とは、機械を中にはさんで、やはり睨みあっています。いまはどっちも機械の方に近づくこともできず、そうかと言って後へさがることもできません。どうしてもここで相手を降参させてしまわないと、食事をとることさえもできないのです。
 どっちの怪塔王も、もう何食もたべないので、おなかはぺこぺこです。
 黒人はどっちにつこうかと困っていますが、おなかの方は大丈夫です。なぜって黒人は、長期にわたって円筒のなかに暮せるようにと、あらかじめ食料品と水をもちこんでいました。ちょうど長距離飛行のときの、飛行士のような生活をしていたのです
 だんだん疲れて来るのは、二人の怪塔王です。
『声』の怪塔王は、『顔』の怪塔王をおどすように、(もう海底にながくいられない。やがて怪塔は爆発するであろう)と言って、降参をすすめましたが、『顔』の怪塔王はいっかな降参をしようとは申しません。一体どうなることでしょう。
「おい、がんばらないで、わしのいうところに従え。この怪塔が爆発して、みんながここで死んでしまっては、何にもならないじゃないか」
 と、『声』の怪塔王はなおもくどきます。
「僕は爆発なんぞ平気だ。怪塔とともに、ここで粉々にくだけてしまっていいとおもっている」
「それは無茶《むちゃ》だ。命は一つしかない」
「貴様はそんなに命がおしいのか」
 と
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