うか。帆村のおじさん。お客さんがひとりもいません。へんですね」
「客の姿が見あたらない。よろしい。それから……」
「それからですって。まだへんなことがあるんですか」
三根夫は立ちどまって、店をまじまじとながめる。
「あ、これかな。帆村のおじさん。店の出入り口の戸が、ばたんばたんと、開いたり閉まったりしますね。まるで風に吹かれているようだけれど、そんな強い風が吹いているわけでもないのにへんだなあ。おじさん、これでしょう」
「なるほど。それから……」
「えッ、えッえッ。まだ、それからですって」
三根夫はあきれてしまった。へんなことが、そんなにたくさんあるのだろうか。帆村荘六がからかっているのかしらと、三根夫は帆村の顔をちらりと見た。
帆村は、そのとき小さい手帖に、いそいでなにごとかを書きこんでいた。
りんごの買物
「どうだい。わかったかい」
「いや、わからないです」
「三根クン。きみはあの店にならんでいるりんごがたべたくないかい」
「あれですか。りんごはめずらしいですね。それにたいへんおいしそうだ。あれを買えないでしょうかね」
「さあ、どうかな。三根クン。きみはあの店へはいっていって、『りんごをいくつ、ください』といってみたまえ。するとどうなるか。ただし三根クン、おどろいちゃだめだよ」
「おどろきゃしませんが誰もいない店へはいって、誰もいないのに、りんごを売ってくださいというのですか」
「そうだ。ためしに、そういってみたまえ」
三根夫は帆村からへんなことをすすめられて、はじめは帆村がいたずらはんぶんにそれをいっているのだと思っていたが、そのうちにどうやらそれは帆村がしんけんになって、知りたいと思っているのだとさとった。それで三根夫はゆうかんに、すぐまえの果実店《かじつてん》の戸をおして、なかへはいった。
「もしもし、このりんごをください」三根夫は、はいると同時に叫んだ。
「はいはい、いらっしゃいませ。りんごはどれを、何個さしあげますか」
やわらかい女の声がひびいた。若い美しい声であった。それは三根夫のすぐまえのところに聞こえた。だが、ふしぎなことに、声の主の姿は見えなかった。
三根夫はきょろきょろあたりを見まわし、気味がわるくなって、唾《つば》をのみこんだ。
「りんごは何個さしあげますか」ふたたび美しい声が、たずねた。
「ええと、十個ください」
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