三根夫は、あわててそういった。
「はい、かしこまりました」その声につづいて、きみょうな現象がはじまった。紙の袋が一つ、ものかげからとびだしてきて、りんごの並んでいるところから五十センチほど上の空間に、ぴったり停止した。と、ばりばり音がして、紙袋は口を開いた。
「あッ」三根夫は、目を見はった。すると、下に並んでいた紅いりんごが一つ、すうっと宙に浮きあがった。と思うと、がさがさと音をたてて、紙袋の開いた口の中へとびこんだ。りんごにたましいがあって、いきなり身をおこして紙袋の中へとびこんだようだ。まもなく、もう一つのりんごが、仲間からはなれて、またもや紙袋の口へとびこんだ。こうしたことが、三根夫のあっけにとられているまにくりかえされ、紙袋は十個のりんごで大きくふくらんだ。
「さあ、どうぞ」れいの女の声とともに、りんごのはいった紙袋は三根夫の胸のまえへきて、ぴったりとまった。三根夫はびっくりして、思わずひと足うしろへ後退した。
「ほほほ。どうなすったんですか。さあどうぞりんごをおとりください」
「はいはい」三根夫は、りんごのはいった紙袋を両手でつかんだ。とたんにずっしりと十個のりんごの重さがかれの掌《てのひら》を下におした。
「お代はいくらですか。このりんごの代金はいくらになりますか」
 三根夫は、そういってしまってから、はっと気がつき、耳のつけ根のところまで赤くなった。なぜならば、三根夫は、この奇怪な世界において通用するお金を、びた一文も持っていないことに、今になって気がついたのである。
(しまった。つい、買物をしてしまったが、たいへんな失敗だ)
 店のかまえといい、姿は見えないが売り子の調子のいい応待といい、地球におけるサービスのいい店とおなじようであったために、つい気軽に買物をしてしまったわけだ。
「代金ですって。そんなものは、いりませんのです」
「えッ。りんご十個が、ただもらえるんですか」
「はあ、この店では、みんな無料でお渡しすることになっています」
「それでは損をするばかりではありませんか」
「いいえ、市民の健康を保つために、市民がたべたいと思う果物を市民に渡すことは、公共事業ですから、損ではありません」
「ついでにおたずねしますが、この町で売っているもので、りんごのほかにもただのものがありますか」
「ございます。衣食住にかんするすべてのものは、みんな無料で市民
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