「いや、船長のことは心配しなくともいいんだが、船のことが、いやに気になってねえ。ともかくも、早くランチをやれ」
「へえ、合点《がってん》です。おい、竹見、考えこんでないで、手つだえよ」
「なんだ竹もいるのかね」
「へい、一等運転士。そういえば、わしもなんだか船のことが気がかりなので……」
「よせやい、竹。お前の心配しているのは、ハルクのことじゃないか。いやに調子を合せるない」
「うん、ところが、おれも急に今、船のことが気がかりになってきたんだ。どうもへんだねえ」
「ふん、何をいい出すか……」
 そこでランチは、沖合《おきあい》に信号灯の見えている平靖号さして、波をけ立てて進んでいった。


   血染《ちぞめ》の手紙


 ランチは、平靖号の舷側《げんそく》についた。
「いやに静かだねえ」
「そうでしょうとも。虎船長のほかに、だれもいないんですよ」
「まさかネ」
 三人は、するすると縄梯《なわばしご》のぼって、甲板《かんぱん》へ――。
「隊長! 虎隊長!」
 一等運転士は、気になるものと見え、虎隊長のところへ、とんでいった。
 隊長は、平船員のベッドにもぐりこんで、暗い灯火の下で、本を読んでいたが、とつぜん帰ってきた三人の顔を見て、たいへんよろこんだ。
「隊長、るす中なにかかわったことはありませんでしたかねえ」
 と、一等運転手は、わざと何気《なにげ》なき体《てい》で、それを尋ねた。
「船のことかね、それとも、わしのことかね。どっちも大丈夫さ。心配するなよ」
 と、破顔大笑《はがんたいしょう》したが、途中で、急に改まった調子になり、
「――そういえば、思い出した。さっき、丁度《ちょうど》この真上の甲板あたりで、がたんと、大きな音がしたんだ。なにか、物をなげつけたような音だった。行ってみようと思ったが、生憎《あいにく》傍《そば》にはだれもいないし、そのままにしておいた。あれは何の音だったか、だれかいって、見てくるがいい」
「はあ、この真上の上甲板あたりでしたか。その音のしたのは?」
 一等運転士の坂谷と、水夫竹見とが、一緒にそこをとびだした。
 駈《かけ》あがった二人は、甲板のうえを探しあるいた。
「あっ、これだ!」
 一等運転士が叫んだ。
 竹見が、かけつけてみると、一等運転士は、一挺《いっちょう》の水兵《ジャック》ナイフをにぎっていた。
「おや、血が……」
 竹見の心臓が、どきんと大きく波うった。
「あっ、それはハルクの持っていた水兵ナイフだ!」
「えっ?」
 ハルクの持っていた水兵ナイフが、なぜこんなところにあるのだろうか。そのナイフこそは、ハルクが自ら右脚をきりおとしたナイフだった。
「おい、なにか手紙みたいなものが、えにまいてあったぞ」
「手紙?」
 一等運転士の手には、手帳の一頁をひき裂いたものが、にぎられていたが、それも血にそまっていた。
「なに、ほう、これは竹見、お前あての手紙だ」
「なんですって、何と書いてあるんですか」
 竹見には、英語がよくよめない。手紙は、英文だった。
「こういうんだ“親愛ナル竹ヨ。俺ハ復讐ヲスルンダ。コノ手紙ヲ見タラ、オ前ノ船ハスグニ抜錨《ばつびょう》シテ、港外へ出ロ。ハルク”どういう意味だろうか、この手紙は」
「えっ、復讐! 復讐は、わかるが、お前の船は、すぐにいかりをあげて、港外にでろというのがわからない」
「ふむ、お前に喧嘩を売るんだったら、親愛なる竹よは、へんだね」
「あっ、そうだ!」
 と、竹見は、とつぜん弾《はじ》かれたように、とびあがった。
「一等運転士、すぐに抜錨を命じてください。でないと、この船は沈没しますぞ」
「なぜだ、とつぜん何をいう。なぜ、そんなことを」
「さあ、すぐ抜錨しないと危険です。一秒を争います。さあ、命令を……」
「おお、この事かなあ、さっきからの、わしのむなさわぎは!」
 一等運転士は、やっと、自分のむなさわぎに関係をつけ、すぐさま船長のところへ、おどりこんだ。
「大至急、抜錨。総員、部署につけ!」
「な、なんだって!」
 総員といっても、集まってきたのは、たった七人だった。七人で、抜錨ができるか。でも、大至急、それをやる命令が、一等運転士によって発せられた。
 虎船長は、かつがれて、船橋へ。すべて非常時のかまえだった。
 汽缶《きかん》には、すぐさま石炭が放りこまれた。間もなく蒸気は、ぐんぐん威力をあげていった。
「避難演習かね、これは」
「だまって、はやくやれ! 本物なんだぞ」
「気はたしかかね」
「お前、死にたくないのなら、黙って、命ぜられたとおりやれ!」
 水夫竹見は、ハルクを信じていた。だから、この大切な平靖号を、一秒も早く港外にうつさないと、取りかえしのつかぬことが起ることを信じていたのだ。その一大事が、どんな形で現われるか、そんなことを
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