火薬船
海野十三

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【テキスト中に現れる記号について】

《》:ルビ
(例)香港《ホンコン》

|:ルビの付く文字列の始まりを特定する記号
(例)祖先|発祥《はっしょう》

[#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定
(例)本船ニ[#「本船ニ」は底本では「本船に」]
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   怪貨物船あらわる!


 北緯二十度、東経百十五度。
 ――というと、そこはちょうど香港《ホンコン》を真南に三百五十キロばかりくだった海面であるが、警備中のわが駆逐艦《くちくかん》松風は、一せきのあやしい中国船が前方を南西へむかって横ぎっていくのを発見した。
「――貨物船。推定トン数五百トン、船尾に“平靖号《へいせいごう》”の三字をみとむ……」
 と、見張兵は、望遠鏡片手に、大声でどなる。
 艦橋には、艦長の姿があらわれた。そしてこれも双眼鏡をぴたりと両眼につけ、蒼茫《そうぼう》とくれゆく海面に黒煙をうしろにながくひきながら、全速力で遠ざかりゆくその怪貨物船にじっと注目した。
「商船旗もだしておりませんし、さっきから観察していますと、多分にあやしむべき点があります」
 副長が、傍から説明をはさんだ。
 艦長は、それを聞いて、双眼鏡をにぎりしめ、ぐっと顎《あご》をむこうへつきだした。
「追え!」
 命令は下ったのだ。
 駆逐艦松風は、まもなく全速力で、怪船のあとをおいかけた。艦首から左右に、雪のような真白な波がたって、さーっと高《たか》く後へとぶ。
 一体あの怪中国船は、どこの港から出てきたのであろうか。どんな荷をつんで、どこへいくつもりなのであろうか。いま怪船のとっている針路からかんがえると、南シナ海をさらに南西へ下っていくところからみて、目的地はマレー半島でもあるのか。
 小さな貨物船は、速力のてんで到底わが駆逐艦の敵ではなかった。ものの十分とたたない間に駆逐艦松風は、怪船においつき、舷と舷とがすれあわんばかりに近づいた。
 駆逐艦のヤードに、さっと信号旗がひるがえった。
“停船せよ!”
 怪貨物船は、この信号を知らぬかおで、そのまま航走をつづけた。甲板《かんぱん》上には、たった一人の船員のすがたも見えない。さっきまでは、そうではなかった。双眼鏡のそこに、たしかに甲板にうごく船員のすがたをみとめたのに。
 停船命令を出したのに、怪船がそれを無視してそのまま航走をつづけるとあっては、わが駆逐艦もだまっているわけにはいかない。副砲は、一せいに怪船の方にむけられた。撃ち方はじめの号令が下れば、貨物船はたちまち蜂のすのようになって、撃沈せられるであろう。雨か風か、わが乗組員は唇をきッとむすんで、怪船から眼をはなさない。
 それがきいたのか、怪船はにわかに速力をおとした。それとともに、甲板のものかげから、ねずみのように船員たちがかおを出しては、また引っこめる。
 岸《きし》少尉を指揮官とする臨検隊《りんけんたい》が、ボートにうちのって、怪貨物船に近づいていった。むこうの方でも、もう観念したものと見え、舷側《げんそく》から一本の繋梯子《けいはしご》がつり下げられた。わがボートはたくみにその下によった。
 岸少尉を先頭に、臨検隊員は、怪船の甲板上におどりあがった。
「帝国海軍は、作戦上の必要により、ここに本船を臨検する」
 中国語に堪能な岸隊長は、船員たちのかおをぐっとにらみつけながら、流暢《りゅうちょう》な言葉で、臨検の挨拶をのべた。
 そのとき、甲板にぞろぞろ出て来た船員たちの中から、半裸の中国人が一人、前にでて、
「臨検はどうぞ御勝手に。その前に、船長がちょっと隊長さんにお目にかかりたいと申して、このむこうの公室《こうしつ》でまっています」
「なに、向うの室へ、船長がこいというのか。なかなか無礼なことをいうね。用があれば、そっちがここへ出《で》て来《こ》いといえ」
「はい、それがちょっと出られない事情がありまして、ぜひにまげて御足労をおねがいしろとのことです」
「出て来られない事情というのは何か。それをいえ」
 岸隊長は、まるで母国語《ぼこくご》のように、中国語でべらべらいいまくる。
 そのとき、かの半裸の中国人は、一歩前に出た。ひそかに岸隊長にはなしをするつもりだったらしいが、隊長の部下がどうしてこれを見おとそうか、剣つき銃をもって、隊長の前に白刄のふすまをきずいた。
「とまれ!」
 もう一歩隊長の方へよってみろ、そのときは芋ざしだぞというはげしいいきおいだ。
「あッ、危ねえ!」
 かの半裸の中国人は、飛鳥《ひちょう》のように後へとびさがったが、そのとき臨検隊の一同は、おやという表情で、その中国人のかおをみつめた。それも道理だ。その中国人が、“あッ、危ねえ!”と、きゅうにあざやかな日本語をしゃべったからである。
「やっ、貴様は何者!」
 
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