岸少尉は、相手をにらみすえた。
太々《ふてぶて》しい若者
「いや、どうも。びっくりしたとたんに、化《ばけ》の皮《かわ》がはがれるとは、われながら大失敗でありました。はははは」
と、半裸の若者は、頭をかいてわらう。びっくりした気色《けしき》はさらに見えない。見なおすと、この男、わかいながらなかなか太々しいところが見える。
だが、こっちは岸隊長以下、すこしも油断はしていなかった。中国人が、急に巻舌《まきじた》の東京弁でしゃべりだしたのには、ちょっとおどろいたが、わけのわからないうちに安心はしない。
「わらうのは後にしろ。貴様は何者か」
岸隊長も、こんどは日本語でどなりつけた。
「やあ、どうもわが海軍軍人の前でわらってすみませんでした」
と、かの若者は頭を下げ「私は四国の生れで竹見太郎八《たけみたろうはち》という者です。この貨物船平靖号の水夫《すいふ》をしています」
「ふん、竹見太郎八か、お前、なぜこんな中国船の水夫となってはたらいているのか」
「はい。私はなにも申上げられません。しかし、さっきも申しましたとおり、船長があなたにお目にかかりたいといっていますから、まげて船長の公室《こうしつ》へおいでくださいませんか。これにはいろいろ事情がありまして……」
水夫竹見は、俄《にわか》にていねいになって、岸隊長をうごかそうとする。その熱心が、彼の顔にはっきりあらわれているので、隊長もその気になって、彼に案内をめいじた。
このような小さな貨物船に、船長の公室があるというのも笑止千万であるが、ともかくも岸隊長は、隊員の一部をひきつれて、竹見のあとにつづいて公室の入口をくぐった。そこは船橋のすぐ下で、船長室につづいた室だった。
入ってみて、またおどろいた。
室内は、こんな貧弱な船に似合わず、絢爛《けんらん》眼をうばう大した装飾がしてあって、まるで中国のお寺にいったような気がする。入口をはいったところには、高級船員らしい七八人の男がきちんと整列していて、隊長岸少尉のかおを見ると、一せいに挙手の礼を行った。
室の真中に、一つの大きな卓子《テーブル》がある。その前に、一人の肥満した人物が、ふかい椅子に腰をかけている。
「さあ、どうぞこちらへ」
と、その肥満漢《ひまんかん》は手をのばして、隊長に上席《じょうせき》をすすめた。混じり気のない立派な日本語であった。どうやらこれが船長らしい。だが船長にしろ、椅子にこしをかけたまま、帝国軍人に呼びかけるとは無礼至極であるとおもっていると、かの肥満漢は、
「私は脚が不自由なものでしてナ、お迎えにも出られませんで、御無礼《ごぶれい》をしておりますじゃ。この汽船の船長|天虎来《てんこらい》こと淡島虎造《あわしまとらぞう》でござんす」
と、ていねいに挨拶をしてあたまを下げた。
脚が不自由だという。見れば、なるほどこの虎船長の両脚は、太腿のところからぷつりと両断されて無い。
このように脚が不自由だから、岸隊長を公室までまねいたことが一応|合点《がってん》がいった。しかしいくら脚が不自由でも、この船長だって出てこられないはずはないのだがと、岸隊長はどこまでも、こまかいところへ気を配りつつ訊問《じんもん》にかかった。
「本船のせきは、日本か中国か」
「もちろん日本でございます」
「日本船なら、なぜ船尾に日章旗を立てないのか」
「おそれ入りますが、これにはいろいろ仔細《しさい》がございまして……」
と、かの虎船長は一揖《いちゆう》して、きっと形をあらため、かたりだしたところによると、
「――この平靖号は、中国から分捕った貨物船でありまして、払下《はらいさげ》手続をとって手に入れたものであります。この汽船には四十八名の乗組員がおりますが、どれもこれも中国語をよくあやつる。しかしそのうち八名を除いて、のこり四十名はいずれも生粋《きっすい》の日本人でございます。そこに立っております高級船員たちも、どこから見ても中国人ですが、これがみな日本人なんで、商船学校も出た者もおりまするし、予備の海兵も混っております」
虎船長は、そういって後の船員たちを指した。岸隊長は、あらためて高級船員の面をじっと見まわしたが、なるほど、眼の光だけは炯々《けいけい》として、新東亜建設の大精神にもえていることがはっきりと看取される。
「本船の目的は、どこか。また、なぜこんなに、すっかり中国式になっているのか。日本人らしい装飾も什器も、なんにもないではないか」
岸隊長は、疑問のてんをついた。
「はい、本船の目的と申しまするのは、日本を飛びだして日本に帰らないということであります。われわれ一同、こせこせした日本人に嫌気《いやけ》がさし、日本人を廃業して中国人になり切り、南シナ海からマレー、インドの方までもこの船一つを資
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