巨魁《きょかい》は、ノーマ号に残っていることになった。
一方、竹見は、サイゴンの町に急ぐと、医者をたずねてまわった。
だが、なにしろ深夜のことではあるし、竹見の風体《ふうてい》がよくないうえに言葉がうまく通じないという有様で、医者に来てもらう交渉は、どこでも、なかなかうまくいかなかった。
(ちぇっ、ぐずぐずしてりゃ、ハルクの奴は冷くなってしまう!)
と、竹見は、気が気でないが、相手の病院では、一向うごく気配《けはい》がない。でも、最後の一軒で、ようやく蛇毒《じゃどく》を消す塗薬《ぬりぐすり》を小壜《こびん》に入れてもらうことができた。
竹見は、それで満足したわけではなかったが、ハルクを、あまり永く放りぱなしにしておくこともできないので、ようやくにして得た塗薬の小壜を握ると、再び、倉庫へ引きかえした。
そのころ雑草園には、荷役に従事した人夫や船員たちが押しかけ、思いがけない深夜の大盤ふるまいに、飲む食うおどる歌うの大さわぎの最中だった。
竹見は、そのさわぎをよそにハルクのねている倉庫の中にとびおりた。
「おい、ハルク。どうだ、容態は?」といったが、竹見は、けげんなかお!
「おや、ハルクがいない。あいつ、動けるような身体じゃないのに、どうしたんだろう?」
桟橋《さんばし》
竹見は、大きな心痛のため、気が遠くなりそうだった。
「このまま放っておいては、たいへんだ。よし、どんなにしても、ハルクをさがしあてないじゃいないぞ」
それから水夫竹見は、気が変になったようになって、重態の恩人ハルクをさがしまわった。
倉庫裏のせまい路地を、彼は鼠のようにかけまわりもした。雑草園の饗宴のどよめきに気がついて、ふるまい酒にさわいでいる仲仕《なかし》や船員たちの間をかきわけて、ハルクのすがたをさがしもとめてもみた。路傍のねころがっている人をゆりうごかして、たずねてもみた。だが、一切の努力は無駄におわった。
水夫竹見は、がっかりしてしまった。
彼は、疲労の末、魂のぬけた人のようになって、桟橋のうえに佇《たたず》んだ。
「まさか、ハルクのやつ、この桟橋から、とびこんだんじゃあるまいな」
そういった彼は、もう動くのもいやになるほど、疲れ果てていた。彼はいつの間にか、桟橋のうえに、ごろりとたおれていた。涼しい夜風が快い眠りをさそったのだ。
「おい、おい!」彼は、目がさめた。だれを呼んでいるのであろうと、目をみらいてみると、眩《まぶ》しい懐中電灯が、彼のかおをてらしていた。彼はびっくりして、跳《は》ねおきた。
「だ、誰だ!」
「なんだ、やっぱり竹じゃねえか」
「そういうお前は……」
「誰でもねえや。おれだ。丸本だ!」
「えっ、丸本、なんだ、貴様だったのか。ちえっ、おどかすない」
丸本というのは、竹見と同じく平靖号乗組の水夫で、彼のいい相棒《あいぼう》の丸本秀三だった。
丸本は、彼のかたわらにすりよって、
「こら、あんな雑草園のふるまい酒ぐらいに酔いたおれるなんて、だらしがないぞ」
「冗談いうな。おれは酔っちゃいない」
そこで竹見は、手短《てみじ》かに、ハルクのことをはなして、丸本にもハルクを見かけなかったかとたずねたが、丸本もやはり知らないとこたえた。竹見は、いよいよ落胆《らくたん》した。
「おい、ハルクのことをしんぱいするのもいいが、ちと、虎隊長のことも考えてくれ。隊長は、雑草園へもいかなんだ。がっかりしているらしいが、色にも出さないで、平船員の部屋で本をよんでいるよ。お前も何か、隊長にいって、元気をつけてあげてくれ」
いわれて竹見は、気がついた。
「おお、そうか。虎船長は、いまは平靖号の船長ではなくなって、さぞさびしいことだろう。おれは、ひょっとすると、ハルクが、平靖号へにげこんでやしないかとも思っていたところだから、これから一緒に平靖号へ帰ろうじゃないか」
「うん。帰るというのなら、ちょうどいま、ランチが一せき、あいているんだ。おれは、それにのって帰ろうと思っていたところだ。じゃあ、ちょうどいい」
丸本は、竹見をうながして、桟橋のうえを、ランチの方へと歩いていった。
二人が、ランチの索《ひも》をといているところへ、また一人、飛ぶように駈《か》けつけてきた者があった。
「おーい、そのランチ、待て」
「だ、誰だ」
「おれだ」
飛びこんできたのは、これも平靖号乗組の一等運転士の坂谷だった。
「おや。一等運転士。どうなすったので」
「うん、雑草園でぐいぐいと酒をあおっていたんだが、妙に船が気になってなあ。それでぬけて来たんだ」
「えっ、そうですか。妙に船が気になるなんて、どうしたというわけです」
「どうもわからん。こんな妙な気持になったことは、初めてだ」
「ははああ、虎船長のことが、やっぱり心配になるんでしょう」
前へ
次へ
全34ページ中31ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
海野 十三 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング