という気もなかった。そのまま、この知人と別れて、同じ人混みをズンズンと四谷見附《よつやみつけ》の方へ流れていったのだった。
(あいつは、誰だったかナ)
 八十助には、いま挨拶を交《かわ》した奇妙な男の素性を思い出すことが、何だか大変楽しく思われて来た。それでソロソロこの楽しい一人ゲームを始めたのだった。
 だが、思う相手の素性は、いつまで経っても、彼の脳裏に浮びあがりはしなかった。
「誰だったか。あいつの素性よ、出てこい、――」
 八十助は、小学校の友人から出発して、中学時代、大学時代、恋愛時代、それから結婚時代、さらに進んで妻と死別した後の遊蕩《ゆうとう》時代、それから今の探偵小説家時代までの、ことごとくの時代の中に、彼の奇妙な男の姿を探し求めたけれど、どうもうまく思い出せなかった。ついそこまで出ているだが[#「出ているだが」はママ]、どうも出て来ないのであった。彼はすこしジリジリとして来た。
 そのとき彼は、大きな飾窓《ウインド》の前を通りかかった。そしてそこに並べてある時事写真の一つに眼を止めた。「逝《ゆ》ける一宮大将《いちのみやたいしょう》」とあって、太い四角な黒枠に入っている
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