れほど遠くへ来たようにも思わない。
「どうじゃ、気がついたかの?」
と白い美髯の肥満漢が声をかけた。
「はッ――」
と八十助は、彼の顔を見た。そのソーセージのようないい色艶の顔を眺めていたとき、八十助は始めて、さっきから解きかねていた謎を解きあてて、愕きの叫び声をあげた。
「あッ――」
「甲野君、一つ御紹介をしよう」
と鼠谷仙四郎がすかさずチョロチョロと前に進み出でた。
「こちらは一宮大将《いちのみやたいしょう》でいらっしゃる」
「やっぱり一宮大将!」
一宮大将といえば、あの新宿の夜店街で、飾窓の中に黒枠づきでもって、その永眠を惜しまれていた将軍のことではないか。そういえば、大将の美髯は有名だった。その美髯がたしかに眼の前に見る老紳士の顔の上にあった。
「一宮大将は亡くなられた筈ですが……」
「はッはッはッ」と将軍は天井を向いて腹をゆすぶった。「亡くなって此処へ来たのじゃ。この鼠谷君もそうであるし、君も亦いま、ここへ来られたのじゃ」
「私は死にませんよ。死んだ覚えはありません」
「死なない覚えはあっても、死んだ覚えはあるまい。――それはとにかく、君は死んだればこそ、ほらあれを見い、棺桶の中に入っていたではないか」
将軍の指す方を見ると、八十助のいままで収容されていた棺桶が、いかにも狼藉《ろうぜき》に室の隅に抛《ほう》り出されていた。
「ああ、それでは――それでは、やっぱりここは冥途《めいど》だったんですか」
「そうでもないのじゃ」
「え?」
八十助の怪訝《けげん》な顔を暫く見詰めていた将軍は静かに口を開いた。
「ここは、つまり、火葬国じゃ」
奇怪な話
「火葬国?」
八十助は怪げん[#「げん」に傍点]な顔で、一宮大将と名乗る男の云った言葉を叫び返した。
「そうじゃ。火葬国といったが早判りがするじゃろう」と一宮大将は傍《かたわ》らを向いて「どうじゃな鼠谷君。一つ君から、この国柄を説明してやって呉れぬか。なにしろ君が一番よく知っているでのう」
「はア、じゃ一つ、甲野君を驚かせることにしますかナ」といって八十助の方をジロリと眺めた。「だがその前に、是非《ぜひ》云って置かなければならぬことがある」
(おいでなすったな――)と八十助は思った。
「それは、君を此処へ連れて来たからには、もう絶対に日本へ帰って生活することを止めてもらいたいのだ。第一君はもうお葬式をすませ、戸籍面からハッキリ除かれているのだからネ。いま日本へ帰っても、君が僕を幽霊と間違えたように、君は幽霊だと思われて人々を驚かせる外になんの術も施すことができないのだからネ」
「お葬式を済ませたというと……」
「そうだ。君は覚えているだろう。新宿の酒場で飲んでいたときフラフラと倒れたことを。あれは僕が密かに盛った魔薬の働きなのだ。あれで君は仮死の状態になった。恐らく医師が診ても、あれを本当の死としか考えられなかったろう。君は行き倒れ人として一旦《いったん》アパートへ引取られそれから親類総出でお葬式を営まれたのだ。君の両親も友人もその葬式に参列し、あの花山火葬場で焼いて骨にしたと信じている」
「そんな馬鹿なことが……」
「君の遺族は、壺に一杯の骨を貰って、何の疑うところもなく、家に引取ったのだ」
「その骨というのは……」
「無論、どこの馬の骨だか判らぬ人間の骨なんだよ。君は知るまいが、人間の骨なんて、いまの世の中には、手を廻せばいくらでも手に入るものだよ」
「ナ、なんていう奴だ。恐ろしいインチキ罐係め」
「そうだ、インチキ罐係の言葉は当っている。君は僕の少年時代のことを思い出して呉れるだろう、僕はいくら運が悪くなっても、ぼんやり暮らしているほど、自分の力量に自信のない男ではない。云いかえると、罐係をやったのも、一つの大きな目的があってのことだ。僕は何を考えて罐係になったか、想像がつくかい」
「…………」それは今となって想像がつかないでもないが、相手は何しろ非常識な男のことであるから、ハッキリは指《さ》して云えない。黙っているのが勝ちである。
「僕は一見不可能なことを可能にして、この世の中に素晴らしいゆっくりした国を建設したかったのだ。君はあの大晦日《おおみそか》に迫ると、なんとなく身辺がゆっくりして、嬉しさが感ぜられるということを経験したことはなかったかネ。あれは、もう今年も残りは二三日となり、いくら焦ってみても、もうどうにもならぬ、――という気持ちが、あの使い残りの二三日をたいへんゆっくり嬉しく感じさせてくれるのだ。これをもっと徹底させると、どういうことになるか。それは人間が戸籍面からハッキリ姿を消すことになる!」
「ふふン」と八十助は呻《うな》った。
「つまり自分の死亡届けを出して置いて、自分は鬼籍《きせき》に入る。そうなれば、この世でのいろいろの厭
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