なきずな[#「きずな」に傍点]を断つことが出来る。もう借金とりも来なければ、大勢の子供の面倒を見なくてもよいし、年寄りになれば、老いぼれと蔑《さげす》まれなくてもいい。鬼籍に入った上で、本当の生命の残りを、極めて自由に有意義に使うなら、こんな愉快なことは、無かろうじゃないか。――それがそもそもこの火葬国の起源であるというわけだ」
 鼠谷仙四郎の醜怪な頬には、ぽッと紅の色がさし昇って来た。


   白煙に還る


 鼠谷仙四郎の饒舌《じょうぜつ》はつづく。
「僕は花山火葬場に長く勤めているうちに、火葬炉に特別の仕掛けを作ることを考え出した。早く云えばインチキ火葬だ。誰でも棺桶を抛り込んで封印をしてしまえば、それで安心をする。しかし封印をしたのは表口だけのことだ。封印をしてないところが上下左右と奥との五つの壁だ。一見それは耐火煉瓦《たいかれんが》なぞで築きあげ、行き止まりらしく見える。誰一人として、あの五つの壁を仔細に検《しら》べようと[#「検《しら》べようと」は底本では「検《しら》べとようと」]思った者はない。僕はそこを覘《ねら》い、一旦封印をして表口を閉じた上で、側方の壁から特設の冷水装置をつきだして棺桶の焼けるのを防ぐ仕掛けを作った。その次にあの罐の真下に当る地下室から棺桶を下げおろす仕掛けを作った。そして予《あらかじ》め用意して置いた人骨と灰とを代りに、あの煉瓦床の上に散らばらしておく。それでいいのだ。遺族の者は、すこしも怪しむことを知らない」
「ああ、悪魔! 君はそうして、私の妻の死体を引っ張り出して、自由にしたのだな」
「まア待ち給え。――僕はこの仕掛けに成功すると、こんどは人間を仮死に陥《おとしい》れる研究に始めて成功した。こいつはまた素晴らしい。奇妙な毒物なんだが溶かすと無味無臭で、誰も毒物が入っていると気がつかない。これを飲んで、識らないでいると、昏睡状態となり、そして遂に仮死の状態に陥すことができる。しかも医師たちはそれを真死と診断する外はない程巧妙な仮死だ。この二つの発明が、僕に火葬国の理想郷を建設する力を与えて呉《く》れた。それからこっちというものは、これはと思う人物を、巧《たくみ》に仮死に導いては、飛行機に乗せてこの火葬国へ送りつけ、そして君がこの部屋で経験したような順序で蘇生させていたのだ。傑出《けっしゅつ》した男であれ花恥かしい美女であれ、僕のこうと思った人間は、必ず連れて来て見せる。ここに居られる一宮大将においでを願ったのも、この火葬国建設の指揮を願うのに最も適任者だと思ったからだ。大将はすっかり共鳴されて、私財の全部をわが火葬国のために投ぜられたのだ」
「するとここは一体|何処《どこ》なのだ。日本ではないのだネ」
「そうだ。小笠原群島より、もっと南の方にある無人島なのだ」
「僕の露子はどうした。早く逢わせて呉れ給え」
「露子さんか」
 と鼠谷は一寸《ちょっと》困ったような顔付をした。
「露子さんに逢わせてもいいが、その前に、君から誓いを聞かねばならぬ」
「誓いとは?」
「この火葬国の住民となって、文芸省を担任して貰いたいのだ」
「文芸省?」
「そうだ。君の文芸的素養をもって、この火葬国に文芸を興《おこ》して貰いたい」
「文芸を興せというのかい」
 文芸ということを聞いた八十助は愕然として吾《われ》に帰った。そうだ、八十助の原稿は常に売れなくても彼の生命は文芸にあったのである。しかしその文芸は、あくまであの喧騒を極めた巷《ちまた》の間から拾い上げてこそ情熱的な味があるのであった。理想郷とは云え、こんな無人島から拾い上げられる文芸なんてどう考えても砂を噛むように味気のないものとしか思えない。況《いわ》んや探偵小説なんてものがこんな理想郷に落ちては居まい。彼は矢張り陋巷《ろうこう》に彷徨《さまよ》う三流作家であることを懐《なつか》しく思い、また誇りにも感じた。そう思いつくと、俄《にわか》に矢のような帰心に襲われたのだった。
「僕は断る。僕はやっぱり東京へ帰るよ」
「なに東京へ帰る。……あの露子さんに逢いたくないのかい」
「うん、急に逢いたくなくなった。僕はそんなに突拍子《とっぴょうし》も無い幸福に酔おうとは思わないよ。あのゴミゴミした東京で、妻を失ったやもめ[#「やもめ」に傍点]の小説家としてゴロゴロしているのが性に合っているのだ。僕は帰る!」
「どうしても帰るというか」と鼠谷は残念そうに訊《き》いた。
「うん帰る!」
「よオし是非もない」
 鼠谷は歯ぎしりを噛んで二三歩ツツと下った。
 ド――ン。
 銃声一発。真白なモヤモヤした煙が八十助の鼻先に拡がった。それっきり、八十助の知覚は消えてしまったのだ。……随って今のところ、火葬国についての話も、これから先が無いのである。



底本:「海野十三全集 
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