かりは草も木もなく、ただ一面に、灰色の石ころの原になっていた。掛矢温泉に湧出る湯も、実はこの地獄沢からぷうぷうふきだしているガスによって、地中で温められている地下水だった。
 新田先生は、この温泉に落着いた。
 このように、掛矢温泉がさびれているわけは、地下から湧出している温泉が、時々ぴたりととまって、温泉がお休になるせいであった。そのお休も、一日や二日のことではなく、時には半年も一年もとまっていることがある。それでは客が行くはずがない。新田先生は、学生時代ここへ時々行ったことを思い出し、今度も病後の体をこの湯で温めようと思って足を向けたのだ。
 掛矢旅館を、ひょっくりとおとずれた新田先生は、そこの主人の弓形《ゆがた》老人から、たいへん歓迎を受けた。
「ああ、新田さんだね。いい時においでなすった。長いこととまっていたうちの温泉が、一昨日《おととい》からまたふきだしたんでがすよ。これがもう三日も早ければ、せっかくおいでなすっても、お断りせにゃならないところじゃった」
「ああ、そうかね。僕は運がよかったというわけだね」
 先生は、笑いながら、勝手をよく知った上にあがった。
 弓形老人は大喜びで、新田先生をいろいろともてなしたが、先生が長い間、病気に倒れていたと聞いて、たいへん驚いた。
「そうけえ、そうけえ。まあなおって、ようがした。体が元のようになるまで、ゆっくりうちの湯につかって行きなせえ」
 老主人は、いつに変らぬ親切を、新田先生に向けたことであった。
 その親切が、新田先生の心を、かえっていたませた。これがいつもであれば、すっかり腰を落着け、のうのうとした気分で、湯につかっておられるのであったが、今度はそうはいかない。モロー彗星は、あと一箇月で地球に衝突してしまうのだ。この掛矢旅館ののんびりした気分も、三方を高い山に囲まれたもの静かな風景も、あと僅かでおしまいになるのだ。そう思うと、先生の心はかえって、暗くなる。老主人弓形氏は、モロー彗星のことなど、まだ何も知らないようである。この大地がくずれて、天空にふきとんでしまう最後まで、この人のいい老主人は、何も知らないで人生を終えるのではないか。
(これは何とかしなければならぬ!)
 新田先生の同胞への限りない愛の心が、先生の血を湧きたたせる。
 春なおあさい掛矢温泉の岩にかこまれた浴槽の中に、新田先生は体をのびのびと伸
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