われるためには、誰しも考えつくのは、火星への移住である。しかし火星へ移住することは、二つの心配があって、一つは空気がうすいこと、もう一つは、火星人が、我々地球人類を、こころよく迎えてくれるかどうか、この二つのことがたいへん心配である。
 どうか、諸君は、くれぐれもこのことを忘れてはならない。世界各国の政府は、この二つの心配に対し、本気になって考えておかねばならない。移住に際し、火星人を、みな殺しにしてしまえなどという、あらい言葉をつつしむように。きびしい言葉で言えば、我々の一人たりとも、火星人をおこらせてはならないのだ。火星人が気持を悪くするような言葉を、はいてはならないのだ。つつしみのないたった一人の失敗のために、我々全人類が、火星人から、ひどい目にあうとすれば、ばかばかしいことだ。とにかく、そういう不穏な人間が出た時は、政府はすぐ彼を、銃殺にしてしまうのがいいだろう。予のもっとも気にかかることは、これである」
 リーズ卿の放送は、そんなところで終った。
 卿の講演放送によって、世界各国は、またさわがしくなった。火星への移住の用意は、うまく出来ているか。ロケットの数は十分にあるか。自分の乗る座席は第何号かなどと……。
 しかし中には、卿の放送に対し、悪口を言う者もあった。


   28[#「28」は縦中横] 山の上の火


 長い間、傷のため病床に寝ていた新田先生が、ようやく退院することとなった。
 三月といえば、いつもの年ならまだ春に遠く、ひえびえとした大気を感じるのが、あたりまえであったが、その年はどうしたものか、日暦が三月にかわると急にぽかぽかと暖くなって、まるで四月なかばの陽気となった。
 めずらしい暖さだ。それもモロー彗星が近づいたせいだとあって、人々は、夕暮間もなく、西の地平線の上に、うすぼんやりとあやしい光の尾を引くモロー彗星のすがたを、気味わるく、そうして、また恐しく眺めつくすのであった。
 新田先生は、退院の後、すぐさま甲州の山奥の、掛矢温泉へ向かった。
 掛矢温泉といっても、知らない人が多いであろう。ここは温泉と言っても、宿は掛矢旅館がたった一軒しかない。その掛矢旅館も、たいへんむさくるしい物置のような宿であって、客の数も、いたって少い。附近に地獄沢というところがあって、そこは地中からくさいガスがぷうぷうとふきだしていて、一キロメートル四方ば
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