ね。一人の学者の寿命は百年とまで永くないのに……」
ネッドが笑った。が、マートン技師は、これに応えていった。
「そうじゃない。そんなに永くかからなければわからない大仕事だから、学者たちは責任がたいへん重いのだ。そして一日でも一時間でも早く自然科学の謎をとかねばならぬと、一所けんめいに努力しているんだ。本当に、尊い人たちだといわなければならない」
マートン技師はそういって、非常にまじめな顔をした。
その日をはじめとし、少年たちは毎日一度展望室へ入って、大宇宙をのぞくことにした。そこから見える大宇宙は、いつも暗黒で無数の星がきらめいていることに変りがなく、別に夜が明けるわけでもなく、変化にとぼしい眺めであった。だが少年たちは必ずこの部屋へ入った。彼等の見たいと思うものは、第一に、遠去かり行くなつかしい地球の姿、第二に、だんだん近づく火星の様子であった。
「河合君。あと二日でいよいよ宇宙塵の間を本艇が抜けるそうだよ。本艇はそのとき穴だらけになっちまいやしないだろうか」
「なあに大丈夫だろう。デニー先生もマートンさんも平気な顔をしているもの」
「そうかしら……それから君は、火星には人間が住んでいると思うかい」
「人間かどうかしらんが、生物はいると思うね、張君」
「生物? その生物は、僕たちを見たとき、どうしようと思うだろうね」
「どうしようというと、どんなこと?」
「つまり火星のライオンかゴリラかが、僕たちの顔を見たとき、これは珍らしい御馳走が来たぞ、早速たべちまおうかな、などということになりやしないかね」
「さあ、それはわからないね、マートンさんに聞いてみなければ……」
「マートンさんも、よくわからないと答えたよ、それについて僕は考えたんだ。火星へ上陸するときは、御馳走の固まりをたくさんこしらえて持って行くことだと思うよ」
「御馳走の固まり」
「そうなんだ。この御馳走の固まりは、僕たちがたべるんじゃなく、いざというときに、火星の生物の前へ放りだすんだ。するとその生物がむしゃむしゃたべ始めるだろう。その隙に僕は逃げてしまうんだ」
「ほおん、するとその御馳走の固まりは、つまり僕たちの身代りなんだね」
「僕たちじゃないよ、今のところ僕だけの身代りにこしらえる計画さ」
「そんなことをいわないで、僕の分もつくってくれよ」
「よし、そんなら君の分もこしらえてやるが、一体その火星の生物は、何をたべるかね。何が好きだろうか、それを教えてくれ」
「……」
これには河合二郎も、遂に返事につまってしまった。
さて、一同の乗った宇宙艇はいよいよ火星に近づき、その引力圏内に入った。それはいいが第一の難関がやってきた。それは宇宙塵圏のことである。本艇は果してこの危険圏を安全に通りぬけることができるであろうか。何しろ人類にとって全く前例のないことだけに、デニー老博士も非常に心配している。
運命の危険圏への突入は、あと僅か五時間後に迫っている。
近づく危険圏
よく熟れた杏《あんず》のような色をして、小山のような火星が、暗黒の宙に浮いているその姿は、凄絶きわまりなき光景だった。ネッド少年は、いよいよ気が滅入ってきて、口をきくことがだんだん少なくなった。
近頃ではネッドばかりではなく、山木健までが元気を失い、おびえたような顔をしているのだった。そして展望室へちょいちょいでてくるが、ほんの僅かの時間しかそこにはいないで、でていってしまう。
河合が心配して山木に話しかけた。
「山木君。なぜそんなに元気がなくなったんだろうね、君は……」
「うん、どうも身体の具合がよくないんだよ。熱もないんだが、ひょっとしたら、あのせいじゃないかな」
と山木は顎《あご》をしゃくって、窓外を示した。そこには火星が大きく視界を遮《さえぎ》っていた。
「ああそうか、君もやっぱり宇宙性神経衰弱にかかっているんだな」
「えっ、宇宙性神経衰弱だって」
「そうなんだ。この病気は、大宇宙のあまりに神秘な、そしてすさまじい光景にぶつかって、僕たちの心がひどく圧迫せられる結果起る病気なんだ。君もそうなんだろう。あのとおり火星は化け物のように大きく天空にかかって僕たちの前に立ちふさがっている。あれが気持よくないんだろう」
「うん、そういわれると、そうかもしれない。たしかに火星を見ていると気が変になりそうで仕方がない。あの大きな物体が、なぜ落ちもしないで宙に浮かんでいるんだろう。ああいやだ。僕はとうとう火星に負けちまったようだ」
山木はそういって、両手で自分の眼を覆《おお》った。河合は同情して、友を極力《きょくりょく》はげました。
「もうすこし経てば、気持のわるいのが直るよ。今が一等いけないんだ。つまり今は、火星が大きな球として見えているから、どうして下へ落ちないのかと気持が悪く
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