で宇宙艇を護りつづけてきたデニー博士以下の乗組員たちも、哀れ、火星着陸の声を聞くと共に異境の海に全員溺死してしまったであろう。博士の沈着にして果断な処置が、危機一髪のところで全員を救ったのだ。
「沙漠! 沙漠!」
右側の噴流器から、その全部ではないが、二三本の猛烈なる黒色|瓦斯《ガス》を吹きだしたので、宇宙艇はお尻を右に曲げたとたんに、海が無くなって、白い沙漠が現れた。それから四五秒後に、轟然《ごうぜん》たる音響と共に、宇宙艇の腹部が砂原に接触した。これこそ、記録すべき火星着陸の瞬間だった。
「開放……」
エンジンは外《はず》された。弾力はまだ残っていた。宇宙艇は沙漠のまん中を、濛々と砂煙をあげてなおも滑走した。
が、何が幸いになるか分らないもので、この沙漠着陸のおかげで、宇宙艇の尾部における火災が俄かに下火となった。
感激の乗組員
滑走すること約三千メートルで宇宙艇はやっと停止したのだった。
全員は、おどりあがって歓呼の声をあげた。誰の目からも、よろこびの涙があふれて頬をぬらしていた。そうでもあろう。火星への大航空が遂に自分たちの手によって完成したのである。乗組員はわずか十名たらずの少人数で、この困難な大事業を見事にやりとげたのであった。生命の危険にさらされること幾度か。それを切抜けることができたのは全くふしぎでならぬ。いや、これこそ全員が、互に助けあい、自分の勝手を行わず、指揮者デニー博士の命令に従い、すこしも乱れることなく組織の最高能率を発揮した結果に外ならないのだ。
そして友を救おうとして、自分を救うことにもなったのだ。美しい友情だ。愛の勝利であった。
艇長デニー博士のよろこびは、誰よりも大きかった。火星探険協会を起こしてからここに二十五年、遂にその大事業は成功したのだ。その間、博士は、或る時は山師とあざけられ、また或る時は資金は尽《つ》きて、ナイフやフォークまで売り払わねばならなかったこともあった。
だが今やそんなことはすっかり忘れていいのである。
だが博士はこの大歓喜に酔ってばかりいるわけにはいかなかった。というわけは、博士が設計し建造したこの宇宙艇は、今|漸《ようや》く火星に着陸したばかりである。仕事はそれで終ったのではない。いやむしろ仕事は今後にあるのだ。
着陸したところは、地球の上ではない。勝手のわからない火星の上だ。気候、風土の違った火星の上である。空気も稀薄だ。重力もたいへん違っている。温度も激しく変る住みにくい土地だ。更に、火星においては、どんな生物にぶつかるかしれない。彼等の心とわれら地球人類の心とが、果してうまく通うであろうか。自分たち一行は、火星生物の恐るべき迫害にさらされるのではなかろうか。ちょうどわれら人類の祖先が、かの有史前において、昼といわず夜といわず、猛獣毒蛇の襲撃にあい、毎日の如く大きい犠牲を払いながら苦闘と忍耐とをつづけたように。――デニー博士は、大歓喜に酔うことは一時預けとして、直ちに適切な命令を次々に発しなければならないのだ。人類最高の名誉をになう彼の部下を率い、そしてこれらの部下を保護し、更に進んで火星生物との間にむずかしい交渉を開始し、それを平和的に解決しなければならないのだ。思えば思えば、デニー博士の上にかかっている責任は、測りしられぬほど重《じゅう》且《か》つ大《だい》である。
「各室の空気|洩《も》れを点検!」
博士が第一番に出した命令は、これであった。空気洩れの箇所がないか、調べるのであった。火星には空気が少い。これまでに研究せられたところでは、火星の空気の濃さは地球で一番高いといわれる標高八千八百八十二メートルのエベレスト峯頂上の空気よりももっと稀薄《きはく》であろうといわれていた。それは地上の気圧の約三分の一に相当するが、これによって火星の大気は、地球のそれの四分の一かそれ以下であろうと想像された。
だからもし宇宙艇が、各室の空気洩れの穴をそのままに放っておけば、艇内の空気はどんどん外へ出ていってしまい、艇内の人々は呼吸困難に陥らなければならない。だから空気洩れの箇所を調べ、もしもそれがあるときはその部屋を犠牲にして、次の部屋との境にある密閉戸を下ろさねば危険となるのだ。しかもこのことは大急ぎでやらなければならなかった。
生憎《あいにく》と宇宙艇はこれまでの難航によって、方々が壊れた。その都度応急処置をとったのであるが、何分にも航行の仕事に手がかかって、空気洩れ防止の方は十分に行われていなかった。デニー博士が、まずこの始末について第一の命令を発したのは正しかった。
全員は各室を駆けまわり、すこし惜しかったけれど、漏洩《ろうえい》のある部屋はどんどん捨てて、それより手前の密閉戸を下ろしていった。
その作業は、各員の努力によ
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