例の特別記号の一つ星が書きこんであった。
「なにか御用でございますか」
 と、生意気そうな店員が、帆村の方に言葉をかけた。こんなところにお前のような貧乏人の用はないぞといわんばかりの態度であった。
「ああその何だ。コクテールの材料をあつめたいのだ。あそこの棚をのぞいてみたいから、ちょっと梯子《はしご》を貸してくれたまえ」
 帆村は梯子をもってこさせると、つかつかとその上にあがっていった。そして高価な洋酒の壜を、あれやこれやと矢鱈《やたら》に選《え》りつづけるのだった。
 店員の態度が、可笑《おか》しいほどがらりと変った。そこにない洋酒をいうと、倉庫にあるから只今持ってまいりますと、奥の方へすっとんでいった。それが帆村の覘《ねら》いどころで、彼は梯子にのぼったまま、身体の蔭になっている側のスコッチ・ウィスキーの絵広告をそっと外し、その裏面に木村事務官から渡された紫外線灯をさしつけた。
「呀《あ》っ、なるほど!」
 帆村はかねて期したるところとはいえ、果然発展してゆく秘密数字の謎が秘密ペイントで書かれてあるのを発見して、愕きをかくし切れなかった。そこに書いてある文字は上のようなものであった。
[#ここから罫囲み]
[第一図]
※[#丸2、1−13−2]

       8
   _______
74□)□□□□□□
    □□□2
    ―――――

※[#丸3、1−13−3]ハ東京新宿追分「ハマダ」撞球場内ノ世界撞球選手「ジョナソン氏」ノポスターノ裏。
カフス釦ニ星印アリ
[#ここで罫囲み終わり]


   未完成の割り算


 円タクの中で、帆村はノートの中をしきりと覗《のぞ》きながら、頭をひねるのであった。
 帝都百貨店で拾い集めた※[#丸2、1−13−2]の記載によれば、問題の六桁数字は、果然不思議な割り算の形をとっている。その謎の数字を 74□で割って、その商として始めの一桁に8をたたせ、これを 74□に掛けて□□□2 なる数字を得ているのである。
「これは実に愕くべき暗号の隠し方である」
 と帆村は感嘆久しゅうしている。
 一ヶ所では分らず、第二、第三と場所を追ってゆかなければ、暗号数字は解けないようになっているのだ。しかも求める数字は、被除数の形となっていて、智恵のない人間には、到底そのまま分りそうもないことになっている。これではいちいち□の中に隠されている数字を導きださねば求める謎の数字は結局出てこない仕掛けになっている。
「これは六ヶ敷いことになった」
 と思ったが、早く考え出さなければ間にあわない。ピンチは迫っているのだ。
「よおし、考えるだけは考えておこう」
 帆村は、うつしとってきたノートを熱心に見つめた。しばらく見ているうちに、彼は一つのヒントをつかんだ。
「なるほど、やっぱり考えてみるものだなあ。すこしずつ解けるじゃないか」
 かれはどういう風に考えたか。
 74□に8をかけて、その答が□□□2 となるのである。こういう風に8をかけて一の位に2が出てくる場合は、そう沢山あるわけではない。――彼はノートへ、上のような符号をつけた。
[#ここから罫囲み]
[第二図]
※[#丸2、1−13−2]

       8←ハ
   _______
74A)BCDEFG
↑↑  HIJ2
イロ     ↑
       ニ

[#ここで罫囲み終わり]
 ABCなどの英字は、まだいくつとも分っていない数字である。イロハなどは、もう7とか4とか確定している数字である。
 だからいまはAの問題なのである。さていろいろやってみると、Aは二つの答をとることが分った。すなわち A=4 と A=9 の二つの場合である。
 A=4 なら、744×8 となって、答は 5952 となる。また A=9 なら 749×8 となって答えは 5992 となる。どっちも一の位は2である。これが第一の発見である。
 それに元気づいて、なおも考えをつづけてみると、果然不可解の数字のうち二つまでが確定することが分ったので、帆村は躍りだしたいほどの悦びを感じた。
 それはいずれの桝形《ますがた》の中の数字であろうか。
 結論を先にいうと、H=5、I=9 と決定するのである。なぜならば右にのべた A=4 の場合は 5952 であり、A=9 の場合は 5992 であり、この二つを比べてみると、千の位と百の位はどっちも同じ 59 である。だから当然 H=5、I=9 でなければならぬ。
「なるほど、これは面白い答だ」
 と、帆村は口のうちに叫んだとき、彼ののった円タクは、新宿|追分《おいわけ》の舗道に向ってスピードをゆるめ、運転手はバック・ミラーの中からふりかえって、
「旦那、この辺でいいですか」
 とたずねた。
 帆村は大切なノートをポケットに収《しま》っ
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