暗号数字
海野十三

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【テキスト中に現れる記号について】

《》:ルビ
(例)帆村荘六《ほむらそうろく》の活躍

|:ルビの付く文字列の始まりを特定する記号
(例)青年探偵|帆村荘六《ほむらそうろく》の活躍

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   (数字は、JIS X 0213の面区点番号、または底本のページと行数)
(例)※[#丸1、1−13−1]
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   帆村探偵現る


 ちかごろ例の青年探偵|帆村荘六《ほむらそうろく》の活躍をあまり耳にしないので、先生一体どうしたのかと不審に思っていたところ、某方面からの依頼で、面倒な事件に忙しい身の上だったと知れた。最近にいたって、彼はずっと自分の事務所にいるようである。某方面の仕事も一段落ついたので、それで休養かたがた当分某方面の仕事を休ませてもらうことに話がついたといっていた。
 僕は、実はきのう、久しぶりで或るところで帆村荘六に会った。
 彼は例の長身を地味な背広に包んで、なんだか急に年齢《とし》がふけたように見えた。顔色もたいへん黒く焦げて、例の胃弱らしい青さがどこかへ行ってしまった。色眼鏡を捨てて縁の太い眼鏡にかえ、どこから見てもじじむさくなった。そのことを僕が揶揄《からか》うと、彼は例の大きな口をぎゅっと曲げてにやりと笑い、
「ふふふふ、ちかごろはこれでなくちゃいけないんだ。街へ出ても田舎へ行っても、どこにでも行きあうようなオッサンに見えなくちゃ、御用がつとまらないんだよ。そういう連中の中に交って、こっちの身分をさとられずに眼を光らせていなくちゃならないんだからね。昔のように自分の趣味から割りだしたおしゃれの服装をしていたんじゃ、魚がみな逃げてしまう」
 と、俗っぽい服装の弁を一くさりやった。
 そこで僕は、彼がちかごろ取扱った探偵事件のなかで、特に面白いやつを話して聞かせろとねだったのであるが、帆村はあっさり僕の要求を一蹴《いっしゅう》した。
「諜報事件に面白いのがあるがね、しかし僕がどんな風にしてそれを曝《あば》いたかなんてことを公表しようものなら、これから捕えようとしている大切な魚がみな逃げてしまうよ」
 と、彼は同じことをくりかえし云った。
 そのような事件におどる魚は、そんなにはしっこいものであるのか。そういう問にたいして帆村荘六は、
「そういう事件に登場する相手は非常に智的な人物ばかりなんだ。だから若《も》しちょっとこっちが油断をしていれば、たちまち逆に利用されてしまう。全く油断も隙もならないとはこのことだ。そして相手はみんな生命がけなんだから、あぶないったらないよ。しかも相手の人数は多いし、組織はすばらしくりっぱで、あらゆる力を持っている。そういう相手に対し、われわれ少人数でぶつかって行くんだから、本当に骨が折れる」
「なんかその辺で、差支《さしつか》えない話でも出てきそうなものじゃないか」
 と僕がすかさず水を向けると、彼は新しい莨《たばこ》に火をつけながら、
「うん、一つだけ話をきかせようかな。これは八、九年前に僕自身が自演した失敗談だ。例の手剛《てごわ》い相手どもが如何に物を考えてやっているかという一つの材料になると思うよ。しかも僕としては、いまだかつて、これほど頭をひねった事件はなかったのだ。脳細胞がばらばらに分解しやしないかと思ったほど、いやもう頭をつかった。――しかも後でふりかえってみると、実に腹が立って腹が立ってたまらないくらい、僕ひとりで独楽《こま》のようにくるくる廻っていたという莫迦莫迦《ばかばか》しい精力浪費事件なのさ」
 帆村はそういって、心外でたまらぬという風に大きな脣《くちびる》をぐっと曲げた。
 ぜひ聞かせてもらいたいというと、彼は、
「うん、話をするが、この事件は結局いくら莫迦莫迦しくったって、さっきもいうとおり僕が取扱った事件の中で一番骨身をけずって苦しんだ事件なんだから、そこに深甚なる同情を持って君もゆっくり考えながら終りまで黙って聞いてくれなくちゃ困るよ」
 と、いつになく彼は僕に聞き手としての熱意を強いるのであった。
 もちろん僕は大いに謹聴すると誓ったが、これから思うと、その事件において帆村は、よほど、にがにがしい苦杯を嘗《な》めたものらしい。
 以下、帆村の物語となる。


   秘密の人


 恐らく、あの頃から後の数年が、一番多種多様の諜報機関が、国内で活動した時期だと思う。国際関係のものは勿論のこと、営利専門のものもあるし、情報通信のもの、経済関係のものなどと、ずいぶんいろいろの諜者《ちょうじゃ》が活躍をしていた。時には同士討《どうしうち》もあって面白いこともあった。
 およそ相手方の諜者にやらせてならぬことは、こっちの秘密を知られることと、これを相手方の本部へ通達されることの
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