ないぞ」と私は負けるのが厭《いや》であるから叫んだ。「こういう場合だ、気が変になった女が、金に重傷を負わした。途端に癒《なお》ったとすると……」
「もう止《よ》そう。はッはッはッ」と、帆村は呆《あき》れ顔《がお》に笑い出した。
「帆村君、ちょっと来て下さらんか」
 室の外から、大江山捜査課長の呼ぶ声がした。どうやら隣りの調べも片《かた》がついたものらしかった。


     4


 金《きん》青年殺害事件は案外|呆気《あっけ》なく処理されてしまった。官辺《かんぺん》では、帆村が捕縛《ほばく》した例の男を犯人として判定してしまった。
 ここに意外だったことは、あの犯人という男が、海原力三《うなばらりきぞう》その人だったことだ。私もあの後、係官の前へ彼が引張りだされたとき初めてそれと気が付いて駭《おどろ》いてしまったわけだった。
 海原力三は最初のうちは猛烈に頑張《がんば》って、犯人でないと云い張った。しかし後に至って遂に係官の指摘したとおり、一切の犯行を認めたということであった。
 犯行の動機は、カフェ・ゴールデン・バットで金のために女を奪われたことを極度に憤慨《ふんがい》したためだった。彼の抱《いだ》いていった薄刃《うすば》の短刀に血を衂《ちぬ》らず、あの重い砲丸を投げつけて目的を達したことは、後《のち》に捕縛されたとしても、短刀をまだ使っていないという点で、犯行を否定するつもりだったという。それを最初から指摘したところの検事は、大変鼻を高くしていた。
 かくて事件は表面的には解決したが、私としてはお察しのとおり、いろいろの疑問が不可解のまま解決されていないので、大いに不満だった。
 そして思いは帆村の場合も同じであった。その帆村は、海原力三の自白後、随分しばらくやって来なかったが、そうそう、あれは一ヶ月ほども経《た》った後のことだったろうか、莫迦《ばか》にいい機嫌で私の許《もと》へ訪ねてきた。
「オイ何処へ行ってたのか」
 と私は帆村の鬚《ひげ》を剃《そ》ったあとの青々とした顔を見上げて云った。
「うん、東京にいるのが嫌《いや》になって、旅に出ていた。実は神戸《こうべ》の辺をブラブラしていたというわけさ。あっちの方は六甲《ろっこう》といい、有馬《ありま》といい、舞子《まいこ》明石《あかし》といい、全くいいところだネ」
「ほう、そうか。じゃ誘ってくれりゃいいものを
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