ゴールデン・バット事件
海野十三

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【テキスト中に現れる記号について】

《》:ルビ
(例)夜更《よふけ》

|:ルビの付く文字列の始まりを特定する記号
(例)性能|優《すぐ》れた

[#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定
(例)毎晩はんこ[#「はんこ」に傍点]で
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 あの夜更《よふけ》、どうしてあの寂しい裏街を歩いていたのかと訊《き》かれると、私はすこし顔が赭《あか》くなるのだ。
 兎《と》に角《かく》、あれは省線の駅の近所まで出て、円タクを拾うつもりで歩いていたのだった。連《つ》れが一人あった。帆村荘六《ほむらそうろく》なる男である。――例の素人《しろうと》探偵の帆村氏だった。
「君の好きらしい少女は、いつの間にやら居なくなったじゃないか」と帆村が云った。
「うむ――」
 私は丁度《ちょうど》そのとき、道を歩きながら、その少女のことを胸に描いていたところだったので、ハッとした。あの薔薇《ばら》の蕾《つぼみ》のように愛らしい少女を、帆村に紹介かたがた引張りだした今夜の仕儀《しぎ》だった。それはこの場末《ばすえ》の町にある一軒のカフェの女だった。カフェの女とは云いながら、カフェとは似合わぬ姫君のように臈《ろう》たけた少女だった。
 そのカフェは、名前をゴールデン・バットという。入口に例の雌《めす》だか雄《おす》だか解らない二匹の蝙蝠《こうもり》が上下になって、ネオンサインで描き出してあった。一寸《ちょっと》見たところでは、薄汚い極《ご》くありふれたカフェではあったが、私は何ということなく、最初に飛びこんだ夜から気に入ったのだった。それは一ヶ月も前のことだったろう。そのときは私一人だったのだが、その折のことはいずれ話さねばならぬから、後《のち》に譲《ゆず》るとして置いて、さて――
「今夜はコンディションが悪かったよ」と私は、半分は照れかくしに云った。
「そうでも無いさ。大いに面白かった」
「それにもう一人、君に是非紹介したいと思っていた女も休んでいやがってネ」
「うん、うん、君江《きみえ》――という女だネ」
「そうだ、君江だ。こいつと来たら、およそチェリーとは逆数的《ぎゃくすうてき》人物でネ」
「チェリーというのかい、あのミツ豆みたいな子は……」
「ミツ豆? ミツ豆はどうかと思うナ」(あわれ吾が薔薇《ばら》の蕾《つぼみ》よ)
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