遂に、種ヶ島の短銃を担ぎだすもの、それから御上《おかみ》の特別のおゆるしを得て、鉄砲組で攻めもした。
 ドドーン。ドドーン。
 くろがね天狗めがけて、粉微塵《こなみじん》になれよとばかり射かけた。さてその結果はというと、くろがね天狗は二、三歩たじろぎはするが、すぐ立直って、どこを風が吹くという様子でノソノソと街上を歩いてゆくのであった。そうなると太刀も銃も効き目のないことでは同じことだった。江戸の住民たちの恐怖は、極度に達したのだった。
「くろがね天狗の正体は、そも何者ぞや」
 ――と、町奉行与力同心は云うに及ばず、髪結床《かみゆいどこ》に集る町人たちに至るまで、不可解なる怪人物に対する疑問に悩みあった。
「とにかく権四郎が悪い。あれは恋敵の高松半之丞に違いない。半之丞の呪咀《じゅそ》が、彼を文字どおりの悪鬼にかえたのだ」
「うん、なるほど。そういえばなァ」
 というので、半之丞説が俄《にわ》かに有名となると共に、死んだ権四郎にひどい悪口を叩くものが日に日に多くなった。
「半之丞さまでは御座りませぬ。その証人と申すは、斯く申す虎松で……」
 と、聞くに怺《こら》えかねた虎松が、いつぞやの軒端に袂《たもと》をとらえた半之丞と、途端に街上に権四郎を切捨てた黒装束の主とが全く別の人物だったことを証言した。しかし彼の外にそれを見た者がなかったため容易に信じられなかったのである。そして死んだ権四郎の名声はいよいよ落ち、彼を稀代の色魔と呼ぶ者、また稀代の喰わせ者と呼ぶ者が現れるかと思うと、更に悪感情は若き未亡人お妙の上に、また更に日頃人気の高かった帯刀の上にまで伸びていったから、全く恐ろしいものだった。お妙の如きは遂に堪えきれずなったものか、帯刀にも告げず、自分の邸を出奔《しゅっぽん》してしまった。そのことは更に世間に伝わって、更に強勢な悪感情の材料となった。
「帯刀一家を処断して、くろがね天狗の怒りを緩和してはいかがで厶るか」
 という者があるかと思えば、
「半之丞をまず見つけて、口達者なものに吾等の同情を伝え、よく話合うことにしては?」
 などと説くものもあった。
 くろがね天狗――。
 このくろがね天狗の正体を知る者は、天下に唯一人、半之丞自身があるだけだった。
 だが彼は、密かに姿を変え、しばしば巷《ちまた》を徘徊《はいかい》していたので、むかし嗤笑《わらい》を買った身が、今はあの兇行の連続にもかかわらず、憎悪はむしろ帯刀一家に移って、彼れ自身の上には夥《おびただ》しい同情と畏敬とが集っているのを知って快心の笑みを洩らしていた。そこで彼は、善心に立ちかえるべきだったかも知れないが、悪魔に売った魂は、そう簡単に取りかえせるものではなかった。
「おお、人が斬りたい。……」
 と、日暮れになると、彼は高尾山中の岩窟からノッソリ姿を現わし、魘《うな》されでもしているかのような口調で叫ぶのだった。
「おうい、くろがね天狗よ、洞から出て参れ」
 そういって半之丞は右手をあげて額の前で怪しく振った。すると彼は一種の自己催眠に陥り、異常なる精神集中状態に入るのだった。
「くろがね天狗、出てこい!」
 そういって命令すると、精神が電波のように空間を走って、洞の中に安置されている所謂《いわゆる》くろがね天狗の手足を動かすのだった。脳の働きは一種の人造電波を起こして空間を飛び、そして人造電波の受信機に外ならぬ機械人間くろがね天狗を自由自在に操縦するのであった。これが半之丞が五ヶ年の山籠りを懸けて作り上げた秘作機械だった。――南蛮鉄の胴体に、黒装束に黒頭巾を蔽《おお》った機械人間がコトリコトリと音を立てて出て来た。
「さあ、出発だ!」
 半之丞は機械人間の脊《せ》に飛びのった。すると機械人間は彼の一念に随《したが》って走りだした。ヒューヒューと風を切って、暗澹《あんたん》たる甲州街道を江戸の方へ向って飛ぶように走っていった。


   死闘


 やがて二刻ちかくたって、半之丞とくろがね天狗の現れたのは、江戸の東を流るる大川に架けられた両国橋の袂《たもと》だった。十日あまりの月が、西空から墜ちんばかりだった。あたりは湖の底のように静かで、行人《こうじん》の気配もない。
「ちぇッ。今夜もあぶれるか」
 半之丞は舌打をした。
「人間の匂いさえしない。……」
 といったが、横網寄りの商家の屋根の上から、チョコンと出ている一つの首には気がつかなかった。それこそは岡引虎松の辛棒づよい偵察姿勢だとは知る由もなかった。彼は怪人の正体がどう考えても解けない口惜しさに、かろうじて辛棒づよい偵察をつづけているわけだった。
「おおッ――」と半之丞は、電気に觸れたように身慄《みぶる》いした。
「おお珍らしや、向うから来るは確かに人影、占めた!」
 半之丞は大きく肯《うなず
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