》くと、いつもとは違って機械人間を虎松の登っている商家の軒下に追いやった。そして半之丞が大刀をキラリと抜いた。今宵は彼もくろがね天狗と同じ黒装束に黒頭巾の扮装《いでたち》に身を固めていた。どうやら今宵は、半之丞自らが手を下すつもりらしい。
「来る、来る。……逃ねばよいが……」
実は悪魔に魅《み》いられた半之丞、機械人間を操って切っていたばかりでは物足りなくなって、時々自ら邪剣を振っているのだった。もちろん大した腕前ではなかったが、くろがね天狗の扮装がスッと出たばかりで相手は一《ひ》とたまりもなく腰をぬかしてしまうのだから、それから後は言わば自由の利かない人間を嬲《なぶ》り殺しにするようなものだった。
「近頃、くろがね天狗の手練が、大いに落ちたようだ」
という噂も、実はこの半之丞代行の拙《つたな》い業によるものだった。――半之丞は、何日ぶりかに巡りあった行人が、くろがね天狗の装束を見るより早く逃げだすことを恐れた。
柳原の方から橋をコトコトと渡りはじめた珍らしき行人、――それは近づくままに、いたく半之丞を愕かした。
「ほう。……女人だ!」それは紛れもなく、お高祖頭巾《こそずきん》に面《おもて》を隠した若い女性だった。
「女人ではなァ。……」と首を傾けたが、「なに女人大いに結構。これも憎き女の片割れじゃ。一刀のもとに切り捨ててやるまでのこと……」
お高祖頭巾の女は、もう間近になった。半之丞はツツーと柳の大木の陰から飛びだした。
「待たれい。――」と一声。
その声のもとに逃げだすかと思った女は、逃げるどころか、呀《あ》ッという間に飛鳥の如く半之丞の懐に飛びこんで来た。
「おおッ、――」
と危く身を避け、慌てて強引に大刀を横に払ったが、惜しや空を切り、その弾みで身体の中心を失った。
「し、失敗《しま》った。」と叫んだ途端に、横腹に灼けつくような疼痛《とうつう》を覚えた。
「呀《あ》ッ。――」
「思い知ったか、夫の敵!」
女人はヒステリックな声で叫んだ。一命を投げだしたお妙の必死の刃は、もともと手練の欠けた半之丞を美事に刺し貫いたのだった。
(うぬ。……お妙だったか……)半之丞は地面に匍《は》いまわりながら、憎い恋女の刃を避けるのに懸命だった。
「卑怯者、観念しや。……」もう施《ほどこ》す術《すべ》はなかった。
「く、くろがね天狗!」と半之丞は絞るような声で喚《わめ》いた。
「た、助けてくれッ。逃げよう!」
その精神が通じたのか、いままで軒端に石のように動かなかった機械人間が、このときゴクンと揺れると、サッと半之丞の方に走りよった。
「おお、怪物!」
お妙が思わず二、三歩退く遑《いとま》に、機械人間は、半之丞を軽々と肩に担ぎあげると、ドンドン両国橋の上を駆けだした。
「ま、待てッ、卑怯者!」
お妙は死力を尽して追いかけた。しかし機械人間は、お妙の五倍もの快速で逸走したのであった。見る見るうちに、半之丞を背負った機械人間の姿は家並の陰に消えてしまった。そして後に、お妙の激しい動悸《どうき》だけが残った。
それっきり、くろがね天狗は江戸市中に出没しなくなった。
岡引虎松は唖然として其の夜の決闘を屋根の上から眺めつくしたが、漸く探索上に一道の光明を見出した。そして足跡を絶ったくろがね天狗の行方を探し求めて、町の隅々から山また山を跋渉《ばっしょう》した結果、高尾山中に半之丞の隠れ家を探しあてたけれど、肝心の半之丞も機械人間も遂に見つけることができなかった。恐らくかの二人(?)は、人間の到底足を踏みこめないような奥深い山中か、或は深い湖水の底かに、誰にも知られず朽ち果てているのであろうと思った。半之丞の真白い骸骨と、真赤に錆ついた機械人間が相重なって風雨に曝《さら》されている情景を、虎松は其の後幾度となく夢の中に見たのであった。
底本:「海野十三全集 第4巻 十八時の音楽浴」三一書房
1989(平成元)年7月15日第1版第1刷発行
初出:「逓信協会雑誌」
1936(昭和11)年10月
※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5−86)を、大振りにつくっています。
入力:tatsuki
校正:土屋隆
2005年8月21日作成
青空文庫作成ファイル:
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