けて、又その守護神の庇護《ひご》に依《よ》ってあなたに言って居るのだというような話をして、結局私の友達は、未来の世界があることをよく知ることが出来たが、その未来の世界なるものには一向どうも科学者が働いていないように思えた。自分の現在《いま》この世でやっている科学というものは、結局どうも無駄なものである。向うの世の中へ行ってやる科学こそ、最も最後的なものである。それから細君と前後六十回も話をしたでしょうか、私も一緒に行けと言われたんですが、遂に私は行かなかった。友達は私を詰問《なじ》って言うことに、君も細君を亡くしているくせに、何という細君不孝だ。是非共細君を呼んで死んでるという自覚を起さしたり、その他いろいろやってやらないと、死んだ細君は浮ばれないぞ、と叱るのです。
 その中《うち》に友達は遂《つい》に自殺をしました。早速《さっそく》私共も行きましたが、千葉の勝浦の権現堂《ごんげんどう》のある山の頂上《てっぺん》で死んでいました。其処は死んだ細君と知合になった当時、能《よ》く両人が散歩した所だそうで、而《しか》も死んだのは、彼のみならず、夫婦《ふたり》の間に出来た、たった一人の子供も殺
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