新著『循環論証の新世界観と錯覚自我説』とは氏の哲学のエッセンスで、これだけ読めば十分にかれの思想を知ることが出来る。
 現代はまことに形而下的時代である。功利主義万能、唯物史観全盛時代である。この時にあたって、古谷氏の如き偉大なる形而上的ドン・キホーテが現出して、形而上的欲望のために万丈の光焔を吐くことは実に僕のひそかに愉快とするところである。
 形而上的思索の如きは無用の長物であるかも知れぬ。宇宙が三角であり、四角であり、自我が錯覚であると否とは生きる上になんの必要もないことかも知れぬ。しかし、必要と不必要とを問わず、人間は形而上的にも思索し得る生物であるのだ。
 西洋哲学の講釈や、東洋思想の解説者はなるほど腐る程いるかも知れない。しかし、真に独創的な思想を披瀝し、それを血肉的に体験して、日常生活の上にも、それを生かしている人間はまことに少ない。
 単なる思想は概念である。それが如何に唯物的であろうとも畢竟一つの概念である。飢えたる人間にとってはバイブルがなんの役にも立たない如く、マルクスの資本論も同様に役には立たないのである。

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 人間が生きる上において
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