到底信じられない。これは階級闘争の理窟にも応用出来る。僕は階級闘争などという生ぬるい説はきらいだ。闘争という方面から見れば男女はいうまでもなく生物の各自がみなそれぞれなん等かの意味で闘争しているのだ。生きているということは搾取《さくしゅ》していることである。唯その程度に千差万別のちがいがあるばかりだ。此処まで押し詰めると理窟はなくなってしまうらしい。
心霊問題の研究が必要か否かというような質問はある意味で愚問だともいえる。必要でないといえば、みんな不必要だし、必要だといえば一つとして必要でないものはない。だからその方面に趣味をもってやりたい人は大いにやった方がいいと思う。学問は道楽で、茶や、麻雀をやるのと大差はない。生産、生産とうるさくいう人達がいるが、そんなことは始めから問題にもならん屁理窟である。しかし、若し人間がみんな労働をしないでも、安楽に生きてゆく方法さえあればそんなことはまことにどうでもいいことになってしまうのだ。遊んでなるべく楽をしたいという本能が人間にある間は、だがいくら朝から晩まで汗水を滴らして働け働けといったって無理な理窟である。そんなことを口でいう奴に限って、自
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