分は一向働いていない連中が多い。
 ダダイズムという名称は今では既に黴が生えて場末の古道具屋の片隅に転がっている化物だが、自分のいわんと欲した意味は一般世間からは甚だしく誤解されたし、現に今でも依然として誤解されている。
 自分がダダといった意味は、自分のミクロコスモス的自覚に名づけた名称にすぎない。自分はコスモポリタンであるが故に、真の愛国者である。偶像破壊者であるが故に、デイストである。自分は出来るだけ融通無碍でありたいのだ。しかし、自分は限られている存在だから、決してアブソリュートではあり得ない。
 マルキシズムや唯物思想や、アメリカニズムや、大衆や、エログロや、その他一般に喧々|囂々《ごうごう》として附和雷同する街頭の流行論に附随して僕などが今更チンドン屋の旗持の一人になる必要は毫もない。自分は自分の「個」をあくまで掘って、自分でなければいえないようなことをいって見たいと欲している。読者は僕の支離滅裂な理論の矛盾に躓かないようにしてもらいたい。


底本:「辻潤著作集2 癡人の独語」オリオン出版社
   1970(昭和45)年1月30日初版発行
※表現のおかしい箇所は、「辻潤選
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