錯覚した小宇宙
 ――Our faith comes in moments;
   our vice is habitual. ――Emerson.
辻潤


 人体が一個の「小宇宙《ミクロコスモス》」であるという思想は別段珍らしい考え方ではない。禅家では芥子粒の中に須弥山[#底本「須禰山」を訂正]さえ入っている。これは比喩だが、電子の中にひょっとしたら全宇宙が包まれているのかも知れないのだ。
 自分は少年の時分からひどく空想癖が強く勿論、妖怪変化の類が好きだった。長ずるに及んで神秘家になったところで別段不思議ではあるまい。しかし、なぜ自分がロマンチケルであるかということは説明のしようもない。
 自分は近頃では益々理論というものの如何に無価値なものであるかを痛切にかんじるようになって来た。但し、麻雀が好きだという位な意味で理論を弄ぶことの好きな人達を別段咎めようとは思わない。世に真理というような固定したもののあることを信じている人程、気の毒な人達はないと考えている。現代の多くの狂信的マテリヤリストは原始基督教徒と一向変りがない。かれ等の中には立派な殉難者が沢山にいる。
 畏友古谷栄一君
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