駝が針のメドを通るより、もっとむずかしい手合いである。
人生――もっと広くいえば我々の目賭《もくと》する現象界はこのままでは到底解釈は不可能である。心霊界があると信ずる方が理窟に合っている。一概に空想とか迷信とかいうが、全然根拠のないものからはなにも生まれては来ない。普通の官能を標準にしてすべてを解釈することはまったく浅薄にしてとるに足りない。一滴の水の中に蠢動するアミーバにはアミーバの世界しかわからないと同様、人間を万物の霊長などと自惚れたら、もうなにもかもわからなくなってしまうであろう。
元来、科学というものは現象界の法則や、作用を説明するものだが、それが一定不変であるとはどうしても信じられない。人間の知力の変化に伴ってどんな風になるか計り知られないのだ。だから絶対不動の真埋などは到底今のところでは考えられない。だから、自分はいつでも半信半疑だ。幽霊を見たという人は多分見たのだと自分は信じている。頭からそんな馬鹿なことはないなどとはいわない。極端にいえば我々の眼に映じている現象は全部錯覚であるかも知れないのだ。猫の見るアポロの像と、われわれの見るアポロの像とがまったく同一だとは
前へ
次へ
全9ページ中6ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
辻 潤 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング