ているのである。勿論、自分達の生活をもひっくるめての話である。どうしてもこんな不合理で馬鹿々々しい生活はあったものじゃないと思う。しかし、どうもこれが今始まったのではなく何千万年か続いているらしいのには恐縮しているのである。全体、如何なるそこに道理があるのであろうなどと考えても、せいぜい聖書の創世紀でも信ずるよりほか名案も浮んでは来ない。
 一度理性を働かして物を考えると、自分は忽ち懐疑派になる。これはひどく逆説じみてきこえるかも知れないが、自分が心霊[#「心霊」に傍点]というような物の存在を信ぜざるを得ないのは自分が如何にスケプチックであるかという証拠なのである。自分に解らないものを全部否定する勇気のある人の如何に幼稚で無邪気であるかを私は嗤わざるを得ない。自分にはアインシュタインの「相対性原埋」という説が勿論よくわかってはいないが、わからないからといって彼の説が誤謬であるなどといえた義理ではない。
 古谷式の個人即宇宙説からいっても人間は誰でも霊媒になる位な可能性はもっている筈である。しかし、エレメントの結合は森羅万象と共に無限に複雑しているから、「可能性」はあるが、やはりそこには
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